苗床としてnoteを使う | Jul.2

あまりに天気が良いと、長い小説を読むにはなぜか邪魔になる。
曇りや雨の日が嫌いではないのは、腰を据えて本を読むには具合がいいからだ。
さりとて活字中毒者の悲しい性で、何かを読んでいなければ落ち着かない(禁断症状と人は言うけれど、それには絶対に同意しない。目が血走ることも、手足が震えることも、ろれつが回らなくなることもないし)。

そんなわけで図書館から借りて来たものと、書庫にある自分の本から短編集を揃えて、1作づつ違う作家の短編を読む遊びをしていた。
アーウィン・ショー、アップダイク、筒井康隆、阿刀田高、サリンジャー、レイ・カーヴァー、チャンドラー等々、入れ替わり立ち替わり、作風の違う短編を読むのは、思った以上に面白い読書体験になった。

長編はストーリーのダイナミックな展開とギャップが売りになることが多いが、総ページ数が少ない短編小説では、長編のようなジェットコースターの物語は書けない。
O・ヘンリや、星新一は別格だ。短い中でもきちんとした着地点を用意してくれる。
話のスケールが大きくなることはないが、そもそも短編は切れ味が勝負なのだから、比較の基準を物語の大きさに置くのは不公平というものだ。

そうしていろんな作家の短編小説のシャワーを浴びていたら、自分でも書きたくなってくる。バカはすぐに影響される。
身近なところに目を向け、ささやかな変化に目を凝らし、何をどう切り取ったら鮮やかな断面が浮かび上がるかを考えるだけで、世界のあちこちに冒険が寝転がっていることに気がつく。

原稿用紙に換算したところで数枚の、短編とまで行かないような量に止まってしまうだろうが、最初はそれで十分。
最初から完成品としての短編小説を書くわけじゃない。
これから短編小説として蔓や枝を伸ばし、実をつける苗木を植える、種を蒔く作業なのだ。
完成品を発表するにはどうかと思うけれど(横書きは読みにくいし、分量が多くなると、途端に読みにくくなるし)、苗床にするには、noteは都合のいい場所かもしれない。
ちょっと試してみることにしよう。

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