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小説に葛藤や成長は本当に必要か —— 読書記録 『イエロー・サブマリン〜東京バンドワゴン』 小路幸也

 下町の老舗古書店「東京バンドワゴン」を営む大家族の織りなす人気人情物語シリーズの15作目。
 毎年4月に新作が刊行されていて、1作目から読んでいる身にはすっかり季節の目印の役目も担うようになっているのだが、この2年は買ったまま「積ん読」状態で、ようやく2年のブランクを埋めるべく本を開いたというわけだ(つまりまだ16作目が残っている)。

 「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」「ムー」といったホームコメディを見て育った世代には、当時のテレビドラマを懐かしく思い出しながら読み進められるハートウォーミングなストーリー(手垢で真っ黒になってるような陳腐な言い回しの極致だ!)なのだが、文芸作品にありがちな尖った部分が全くない。
 マスに向けて作られるテレビドラマが尖ることを許されない宿命を背負っているように、このシリーズも出てくるのは善人と善人によって救われる人と、たまに物語にさざなみを起こすためだけに小悪党が登場する程度。老若男女、誰が読んでも安心して読めるという意味では逆立ちしてもBPO案件にはならない絶対安全マーク付きなのだが、こればっかりだと飽きがくるのも事実。この2年、新作を買ったまま読まずにいたのは、読む前から安全であることがわかってしまっていたからということもある。

 盛り上がる小説のストーリーラインはひどい癖のあるイタリック体の「N」みたいに作ることが肝要と、いろんな小説指南本に書かれている。
 小さい山を越えた後に葛藤と煩悶で逆境のどん底に突き落とされ、そこから主人公が加速度的に急成長してクライマックスを迎えることで、読者はカタルシスを得るのだ、ということらしい。
 実際、純文学にはこのパターンのものが圧倒的に多いし、「葛藤と成長」を「ピンチと反撃」と読み替えればエンターテインメントにもちゃんと当てはまる。でも本当に葛藤とか成長ってものが小説に欠かせないものなんだろうか。
 いちばん手っ取り早いのは確かだし、実績も山ほどある王道中の王道なのは認めるけれど、だからと言って「ジャガイモとニンジンが入っていないクリームシチューなど、クリームシチューを名乗る資格はない」というほど欠かせないものとも思えないのだ。

 控えめにいっても葛藤とか成長とかってのはクリームシチューにおけるセロリや大根程度のもので(←これ、入れるとすごく美味しいのです)、作る人間の好き好きであるような気がする。主人公に頭を抱えさせたければ抱えさせれば良いし、成長させたきゃ成長させてやればいい。「入れたきゃ入れれば」ぐらいの感じなのだ。

 そうしたものをひたすら薄めて行ったのがこのシリーズだとしたら、読んでいる最中の気楽さは極上だ。
 実際は年1回の刊行ごとに登場する大家族の面々(特に子供たち)は着実に成長して行くし、パーソナリティがわからなくなってしまうほどの数の登場人物たちはちゃんと老いていく。
 こんな理想的な大家族が現実にあるはずないとイチャモンをつけることは簡単だが、小説世界でこれだけちゃんと順を追って子供が大人になり、老人が世を去っていくものはなかなかない。そういう意味でのリアリティは確実にある。
 ただ、現実には数多くいる嫌なやつや悪いやつ、面倒臭いやつが一人も出てこないユートピアっぷりは、あまりに現実離れしていて、やはり年に1度、毎年春になったら読む程度でちょうど良いのかもしれない。

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