ショートショート|サービス
わたしの働くお店に、いつもコーヒーを一杯だけ買っていくおじさんがいる。
履き潰した革靴、よれよれのスーツ、痩せこけた頬。
コーヒーを受け取っていく手は骨ばっていて、血管も少し浮き出ている。
結婚指輪は、していない。
別に、年上趣味っていうわけじゃない。
不倫願望があるわけでもない。
ただ、なんとなく気になるだけ。
おじさんは、いつでもアイスコーヒーを買っていく。夏でも、冬でも。猛暑でも、大雪でも。
お金を払い終わるとわたしに背を向けて、歩きながらすぐに飲み干してしまう。
上を向いて、流し込むように一気飲み。
もっと味わえばいいのに。忙しいのかもしれないけど。
コーヒー飲む間くらい、ゆっくりしたらいいのに。
おじさんは、日を追う事に痩せていく気がする。
ちゃんとご飯、食べているのかな。
余計なお世話だって、わかっている。でもお店には、おにぎりやお菓子も売っているんだから、一緒に買っていけばいいのに。
もしかして、気づいていないのかしら。
ちょっと目立たないところに置いてあるしね。
今度、教えてあげようかな。
なんて、ずっと思っていた。
ある日、いつものように、おじさんがコーヒーの代金を支払ったとき。
不意に、知り合いらしきひとに話しかけられて、おじさんの視線がこちらから逸れた。
チャンスだ。
わたしは何となくいたずら心が生じて、陳列してある鮭おにぎりをひとつ、コーヒーと一緒に出してみた。
おじさん、気づくかな。
あれ、こんなの買ってないよ、なんて。びっくりするかな。
そしたら、わたしはにっこり笑って、サービスです、っていうの。
ありがとう、って言ってくれるかな。
いらない、って突っ返されちゃうかな。
とっさに生じた出来心に、わたしはどきどきしっぱなしだった。
おじさんは結局、何も言ってくれなかった。
コーヒーとおにぎりを一緒に掴んで、いつもどおりわたしに背を向ける。
歩きながら、コーヒーを一気に流し込む。
あーあ、残念。
何も気づいてもらえなかったかー。
なんて、少しがっかりした、その瞬間。
「げほっ、……なんだこれ!?」
おじさんが急にむせ込み、叫んだ。
どうしました、と近くにいたスタッフが振り返る。
「見てくれ、こいつを。コーヒーを入れる紙コップの中に、米つぶが大量に入っている」
「どれどれ。あ、これは鮭おにぎりですね」
「鮭おにぎりですね、じゃないんだよ。こんなの、コーヒーに混入するものかね」
「一応ね、この自動販売機でも売ってるんですけど。個包装じゃないから、あんまり買ってもらえないんですよね。こんな不具合が起きるとは思いませんでした」
「思いませんでした、で済まないよ。毎日のルーチンが台無しだ。早く修理に出してくれ、このポンコツを」
「申し訳ありませんでした。どうせフードは売れませんし、この機会に一般的な機種に変えてしまおうと思います」
「それはいい、できたら、アイスコーヒーのラインナップが多いやつにしてほしいな」
「検討します」
そんなやりとりを終えて、おじさんはわたしのプレゼントをゴミ箱に放り込み、いつもの方向へと去っていった。
スタッフはわたしの顔面に「使用禁止」と書かれた紙を張り付ける。
そして、わたしの電源プラグを、遠慮なく引き抜いた。
<了>
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