見出し画像

連載小説『ベンチからの景色』4話

「シンジョウ?」
キョウコにとってその名前は
学生時代の先輩の名前でしか聞いたことがなかった。
知り合いにも、友達の口からもいまだかつてない。
キョウコは混乱していた。
今日の彼は“先約の男”であることは間違いない。
そして名前はシンジョウ。
(じゃあ、私がさっき見覚えのある顔と思ったのは、
 “先約の男”?それとも…)
考えれば考えるほどわからなくなってくる。
モヤモヤは晴れないがこれ以上考えても埒が明かない。
来週まで待つしかないとひとまず諦めた。

クライアントとの打ち合わせを兼ねて
新入社員を紹介するために新人を同行させた。
会社の近くまで行くと、
「キャッ!」
とキョウコの後ろで新人の女性の悲鳴が聞こえた。
急いで振り返ると彼女が尻餅を付いて地面に座り込んでいた。
そして彼女の先に振り返った男性がいた。
お互いに彼女に駆け寄った。
「大丈夫ですか?!」
その男性が言うと、
「歩きスマホしてましたよね。いい歳して止めなさいよ!」
とキョウコがたしなめた。
「すみませんでした」
キョウコは謝る男性に見向きもせず
彼女の前に屈み込み怪我をしていないか確かめると、
手を貸して彼女を立ち上がらせた。
スーツの汚れを払ってあげて
後輩男性とともにその場を去った。

「ミタさんもさっきの打ち合わせの時といい、
 だいふ威勢がよくなってきたね」
先方の課長が笑いながら話すと、
すかさずキョウコの後輩男性がその話に答えようと身を乗り出した。
キョウコは察して止めようとしたが、
後輩は耳打ちするように小声で話し始めた。
「先ほども歩きスマホをしていた男性に“いい歳していやめなさい!”って
 ビシッと注意をしたばかりですよ」
「それはなかなか出来るもんじゃないよ」
と課長は大いに感心してくれたけれど、
キョウコは恥ずかしくて仕方なかった。

キョウコは家に帰ると着替えもそこそこにソファに倒れ込んだ。
クライアントを任されて1年、
後輩も二人になって気苦労も増えたのもあるけれど、
最たる原因はシンジョウに関するモヤモヤ以外ない。
今日も後輩に「またため息ついてますよ」と注意された。
(つかずにいられますかってんだ)
そう呟いてまたため息をついた。

待ちに待った1週間後、ベンチに向かうと約束通り彼がいた。
挨拶もそこそこに、
「そう言えば自己紹介がまだだったね」
そう言うと内ポケットから名刺入れを出して、
その一枚をキョウコに差し出した。
すぐに名前を見た。
先輩と同姓同名だった。
(でも、だから何なんだ?だって珍しくはないよね)
しばらく考えてると、
「名刺に書かれた暗号でも解読してます?」
と彼が笑いながら言うとキョウコは我に返って
「あ、ごめんなさい。名刺はカバンの中で…ミタキョウコです」
と、自己紹介をした。
すると彼が
「出身はどこ?」
と尋ねてきた。
「福岡ですけど」
と答えると、彼はしばらく考え
すっと立ち上がり手を後ろに組んで校歌らしい歌を唄い出した。
キョウコには何の歌だかすぐにわかった。
なぜなら母校の校歌だったから。
口ずさみながら一緒に歌うと、
それを聞いた彼はキョウコを見て
「やっぱりだ。一度だけ会ってるよね。僕が高3の時」
「覚えてるんですか?」
「目の前で気を失う人を見たのは、あれが最初で最後だからね」
と笑顔で言った。
「え?」
キョウコは頭の中のどこを探してもそんな記憶は見当たらなかった。
「覚えてないかー」
空を見上げ思い出しながら話し始めた。
「勉強を教え終える頃、君は机に突っ伏せたまま動かなくなって…
 あの時は本当に驚いたよ」
結局は先生の指示でそのまま少し様子を見ていたら、
寝た後のようにムクッと起きたから大事にはならなかったのだと。
キョウコは誰かに教えてもらっていたのかもしれないが、
全く覚えてなかった。
今になって恥ずかしくなり顔を赤らめながら
「心配かけてごめんなさい」
と言うと、彼は首を横に振りながら
「君が起きた時のあのあどけない顔が、僕はずっと忘れられなかったんだ」
とキョウコの顔を見た。
目が合ったキョウコは顔が火照ってしまい思わず顔を手で覆った。
「絶対からかってますよね!」
そう言うキョウコに
「だから先週改めて君の顔を見た時、すごく懐かしい感じがしたんだ。
 まさか君があの子だったなんて、驚きだな」
と真顔で答えた。
キョウコは自分のことを知ってもらってるだけでも信じられないのに、
彼の思い出として心の片隅に残っていたことがとても嬉しかった。

それからは学生時代の話で、
名物先生や校内の人気スポット、噂の音楽室など
学校の話題で盛り上がるもランチタイムはあっという間に終った。
「またここで会えるかな?」
「はい!」
二人はそう約束して別れた。
会社に戻る間も彼のことを思い出しながら、
あの憧れの先輩と普通に会話ができるなんて夢を見ているようだった。

早速その夜、準緊急女子会を開いて
マミコとサラに今日のことやこれまでの顛末、すべてを報告した。
マミコ 「すごーい!まさに運命的出会いじゃない」
キョウコ「そうかなー」
サラ  「そうだよ、運命だよ!」
キョウコ「でも残念なことに先輩結婚して…えっ、指輪、あった…かな」
マミコ 「どっちなの?」
キョウコ「1年前は確かにしてたの。
     だってだから茶色のお弁当も気になったし」
マミコ 「別れてるかもだったら、チャンスだよ」
してなかった気もするし、してた気もするし…
思い出してみるがはっきりと覚えてなかった。
せっかく会ったにも拘らず、
またモヤモヤを抱えながら過ごさなければならなかった。

翌日、出社すると専務からの呼び出しがあった。
「おはようございます。ミタです」
「お待ちしてました。奥へどうぞ」
秘書に促されて専務室に入ると
椅子から立ち上がり出迎えてくれた。
専務はキョウコの父の弟で叔父にあたる。
小さい頃から可愛がってもらい
この会社への入社を勧めてくれたのも彼だった。
「久しぶりだな、キョウコ」
「ここへ呼ぶなんて珍しいね」
「最近頑張ってるみたいだな。噂は聞いてるよ」
「そんな話をするために呼んだんじゃないでしょ?」
話し辛そうにしている彼に助け舟をだすと
「実はな、見合いの話があるんだが」
「しないよ」
キョウコが間髪入れずに断ると彼は
「そこを何とか、会うだけでいいから」
と困りながらもお願いをした。
キョウコは叔父には入社の借りがあるし、
そんなこと滅多に頼むことない人だと知っているので、
渋々ではあるが承諾した。
「で、相手は誰?」
キョウコが聞くと、
キョウコが受け持つクライアントの社員だと言った。
実はそのクライアントは叔父さんの級友の会社で、
見合い相手の社員とはその社長の息子だった。
その彼からどうしてもと言うことらしく、
大の大人が二人が利用されたということらしい。
「見合いしたが最後、断れないなんてことなはならないの?」
キョウコが突っ込むと、
「それは大丈夫。先方の父親も承知の上だ。約束する」
と言ってくれたので少し安心した。

見合いの日、待ち合わせのお店に出向くとすでに男性が席にいた。
見合いと言っても先方の意向で、二人だけで会うことになっている。
その男性の後ろからその横を通って正面の席に回り
「お待たせしました」
と言ってお辞儀をして顔を上げた。
そして目の前の男性の顔を見てキョウコは驚いた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?