【ホロライブ】尾丸ポルカのオリジナル曲「ぽ」から見るアイデンティティの不確実性と選択の物語【オリ曲/考察】

強烈なカオスな世界観とクセになるミュージックで大人気の尾丸ポルカ一周年記念に発表されたオリジナルソング「ぽ」が伝えたいメッセージとは何だったのかという考察をしてみました。

[注意]
 あくまで私が勝手にこじつけて楽しんでいるだけという事をご了承願います。真実は本人及び関係者しか知り得ない事なので。それでもこういう形にして公開するのはシンプルに尾丸ポルカに見てほしいからです。自分の磨いた曲芸を座長に見てもらいたいと思うのは座員の性でしょう?

 考察の流れとして、まずこの曲の大まかなストーリー性を把握したのちに、各場面に合わせて細かく内容を咀嚼していきたいと思います。


「ぽ」しか喋れない事が表すもの

 この曲を最後まで聴いても「ぽ」が何だったのかなどの解は見つかりません。結局最後の最後までポルカは「ぽ」しか喋れないし解決の糸口も見つからない。だとするならば作中の「ぽ」しか喋れない事に対しては具体的な意味は存在しておらず、より抽象的な何かしらのメタファーであると私は予想しました。

 また、この曲の大まかなストーリーは『アイデンティティの確立に奮闘するポルカ』であると私は仮定します。その理由は曲の前半の道を選ぶ描写や中盤の無個性な複数のポルカに紛れるポルカ、そして後半のサーカス要素の多くなったポルカの描写などの比較的変化の掴みやすい要素からの想像です。故にこの曲のメインインパクトの「ぽ」自身にも抽象的なアイデンティティに関する情報が込められていると考えました。

 以上の予想に加えて、一貫して「ぽ」しか喋れない事、冒頭においてはそれが自分の意思とは反している事、最終的にはそれを受け入れているように見える事から「ぽ」それ自身が、ポルカの文字上の「ぽ」を超えた、抽象的な意味合いにおけるアイデンティティのメタファーなのではないかと推測しています。つまり「ぽ」とはいわゆる「個性」を示しており、「ぽ」しか喋れない事は自己理解の変遷の描写を“あえて“抽象的に示す事を可能にしているように読み取れるのです。

例: 「ぽ」しか喋れない自分は劣っている→「ぽ」しか喋れない自分でもいいじゃないか。
「ぽ」や“喋る”というキーワードにはさまざまな個人の特性を当てはめる事が出来るのではないでしょうか?

① 【スタート〜20秒】

 正直に申し上げますと、この区間の描写はよく分かりませんでした。ただ、この曲の表向きの方向性を植え付けるためのアイキャッチの様な役割なのではないかと想像します。

原色バリバリの色彩
壮絶なハイテンポで押し寄せる「ぽ」
予想が出来ないカオティックな情報の洪水

 そのような構成により視聴者はこの20秒で論理的な思考が出来なくなるように訓練されているのではないのでしょうか。この冒頭の意図的な訓練により視聴者はこの曲のストーリー性が見えづらくなり、この曲は『カオス』というメンタルモデルが構築されます。初見でこの曲を『非常に自己啓発的だ』と捉えられた人はいるのでしょうか、最初の20秒で強固なメンタルモデルが構築されてしまえばなかなか困難な事だと思います。

ストーリー性を見えづらくする必要性

 では、なぜ『カオス』というメンタルモデルを事前に植え付ける必要性があったのだろうと疑問に思います。私はそれ自身が尾丸ポルカのアイデンティティであるからだと考えました。というのも、あくまで見えづらくしているだけであって全く見えない訳じゃないと感じたのです。私はその構造に全体公開向けの尾丸ポルカとメンバー向けの尾丸ポルカの存在を重ねずにはいられませんでした。

 ポルカはしばしば、元気なポルカを想像してメンバーに入ったけど予想と違いビックリしたという視聴者のフィードバックについての考えを話していた事がありますし、その事についての動画も公開しています。そうする理由は彼女にとってはどちらもかけがえのない自己像であって、是非の評価を下せるものではないからだろうと考えています。どちらの自分も見つけて欲しい、そういう願望があるのだと私は解釈しているのです。つまり、カオスな表現はいわゆる外面的(全体公開向け)なポルカであり、目を凝らして見えるアイデンティティの確立に奮闘する表現は内面的(メンバー向け)なポルカに対応しているのではないでしょうか。それゆえにストーリー性を見えづらくしたのだと考えます。

[別の仮説と不明点]

ポルカが職業選択をするまでの過程を示している?
4つの人参ポルカが収穫される→尾丸家誕生のメタファー?(父、母、ポルカ、妹)
ではなぜ、農家は1人?(思い出のおばあちゃんだけ描写した?)
セリフに入る直前の絵が行進するポルカ→このMVにおいて行進するポルカは様々な事を受け入れた上で自立していこうとする姿勢を表している様に思えます。家を出るか、仕事をし始めた事を表している?

② 【20秒〜42秒】

 アイデンティティ確立の物語という仮説に基づいて考えると「ぽ」しか喋れずに困惑している様子は自己像の未確立を表現している様に捉えられ、光る何かに向かう描写は自己理解を深めるための人生への挑戦という具合に解釈できます。また、光に向けて歩み出した場面の背景は虹色です。

③ 【43秒〜44秒】

 このMVには度々3という数字が現れます。かなり意図的に3という数字を意識させている様に感じますが、全く意図はわからないです。
(「ぽ」になる前は「みみみ」という曲名だったようです。bpm333もその名残のようで、音階は全てミらしいですね。3という数字を意識させているのもそれが関係していそうです。そしてきっとおそらく多分、特に意味はないのではないかと考えています。)

④【45秒〜53秒】

 暗くて寒い事が何の比喩なのかはわかりません。しかし、人生の方向性を決断するときはいつだって孤独で寂しいものだと思っています。分かれ道が人生における挑戦や選択という要素を描写しているとすると、その選択における孤独感や恐怖感を暗さや寒さで表現しているのではないかと考えました。複数の「ぽ」は獲得もしくは自覚したアイデンティティを示していると予想します。そう考えた理由は後述します。

⑤【54秒〜1分22秒】

 正直に申し上げますとこの区間もよくわかりませんでした。しかし、話の流れ上ではアイデンティティを模索している旅の最中の描写であるので、今までに経験した仕事などを表現しているのではないかと考えます。例えば、この区間の最初の首を移し替えるポルカの絵はライン工などの単純作業の風景を描写しているように私は見えました。ただ、他の場面がどう言った意味合いを持っているかはよく読み取れなかったので、サンプル数の少なさから甘い考察だと感じています。

[仮説]

2枚目の円形に広がるポルカ→ピザ屋?
4枚目の「ぽ」を発声する左右のポルカと真ん中のポルカ→カラオケ?
最後の腰を振るポルカをファインダー?越しに見る描写→アイドルプロデュース?

⑥【1分23秒〜1分45秒】

 この場面はいわゆる社会人編を描写しているのではないでしょうか。ビルを覆う強大なポルカは資本家や社長の比喩、多くの没個性的なポルカは社会の歯車と化し半ば自我を失った人々、落ちたら死ぬというセリフは高いビルの中の事務所で働いている時やホームの電車を待っている時にふと頭によぎったりするものではないでしょうか。もし崖の上がホームでの描写であるならば、暑いという感想は満員電車における人の熱気と解釈することも可能です。

 そして、そのシーンの後に何かが追いかけてくるのですが、何かは黒い抽象的なものとして描かれています。これについてはなんの根拠もないのですが、メンタルの不調の比喩だと私は半ば断定に近い形で推測しました。うつ症状はうつになった人にしかわからないと良く言われていると思いますし、私自身もそう感じます。この迫り来る抽象的な黒いモヤモヤは非常に繊細にうつ症状に近しいものを表現していると感じました。

 同時に背景の「ぽ」が迫ってきます。そして、その「ぽ」は虹色をしている。このMVにおいて虹色とは変化の兆しを示している様に思えます。(②における虹色の表現との比較から)これらの要素からこの描写が示すものは、得体の知れない圧力(うつな気持ち、暗黙の社会的な要求など)に固定化された「ぽ」(個性)に成り代わる事を迫られている、そのような解釈が可能だと考えます。

 この迫り来る「ぽ」および黒い何かにポルカは強く怯え、別の光に向かい(②)、逃げます。この反応からポルカは押しつけられるアイデンティティに強烈な嫌悪を抱いている事が予想され、自分は自分が望む自分でありたいと言う非常に強いメッセージが読み取れます。

[課題]

もう一つ仮説がありますが、そっちの仮説は多分怒られてしまう内容なので、書く事ができません。言うと怒られる可能性がある仮説が存在しているという匂わせをしておきます。

➆【1分46秒~1分48秒】

 「なにはともあれ」強烈なメッセージだと思います。それに合わせて、目を輝かせた可愛らしいポルカが描写されます。わたしはこの可愛らしいポルカを見て一抹の疑問と違和感を抱きました。他の場面に登場するポルカに比べると可愛すぎないか?と。この場面には何かしらの意図が含まれていると感じたのです。先に述べますが、このシーンの後のMVはポルカの誕生が一貫して描かれています。

 つまり、このシーンの前後の要素から鑑みるとこの場面での主張は
『いろいろ経験してきたけど、なにはともあれ、私は生まれ変わった』
というものだと思うのです。

⑧【1分49秒~エンド】

 先ほども述べましたが、ここからの場面は尾丸ポルカの誕生を描写していると考えています。まず「ぽ」が降り注ぐ中をポルカが歩いています。この場面で気になる事は「ぽ」が質量をもったオブジェクトになっている事です。今までの場面において「ぽ」は抽象的な描写のみでそれ自身が現実に影響を与えるものではありませんでした。それを考えるとポルカの抱く自己像、アイデンティティが強固なものになってきたという変化を垣間見る事が出来ます。

 そして黄色い三つ編みが登場します。尾丸ポルカという存在が今まさに誕生しているというのを表現しているのではないでしょうか。次にピースポーズのポルカ像をビームで破壊します。この場面でも誕生と破壊という概念が描写されているように思いました。尾丸ポルカという存在の誕生に合わせて、型にあてはめられた偽りの理想の自己像の破壊を実行したという概念が予想されます。

 そして大砲に詰められたポルカはサーカスの垂れ幕や動物の座員を背景とした空間を虹色の軌道を描き飛んでいきます。これはホロライブと言う大砲から発射されたサーカスの座長尾丸ポルカ、彼女の歩む軌跡は常に変化の一路をたどっているというのを表しているのでないでしょうか。

 そして、虹色の棒でポルカはポルカを連打します。叩かれたポルカから生まれたのは“青い”「ぽ」です。これが④において青い「ぽ」が獲得したアイデンティティであると予想した理由です。変化の刺激を加え続けられた尾丸ポルカからまた新しいアイデンティティが生まれた。そして、それはこれからも続いていくという意図が読み取れます。

 最後に行進するポルカが描写され、笑顔のポルカでMVは閉じられます。①の仮説で述べたようにこのMVにおける行進するポルカの意味は様々な事を受け入れた上で自立していこうとする姿勢だと捉えています。

 つまり、常に加えられる刺激から新しく生まれてくる尾丸ポルカという概念を受け入れて全力で尾丸ポルカを楽しんでいくのだ、というメッセージが込められていると私は考えました。

【結論】

 以上の考察から、このMVの物語とはアイデンティティの模索の物語であり、また、アイデンティティとは固定化された確実なものではなく個人の選択の結果により決定されうる不確実なものである。そしてその事実を受け入れたうえでアイデンティティを選択していくことが人生において重要であるという尾丸ポルカの人生観を抽象的に伝えるものではないかと私は結論付けました。

【感想】

 私はこのMVを一目見た時は、冒頭で定義したこの曲の表面的な部分しか見る事が出来ていませんでした。しかし、そのインパクトから少し時間が経つとこの物語の抽象的な部分が少しずつうっすらと浮かび上がってきたのを感じたのです。私はその二重構造に心の底から感動し、どうしても考察を書きあげたくなり、この度このような記事をしたためました。考察している最中とても楽しい時間でした。私は尾丸ポルカを知って間もないですが、彼女が彼女の納得のいくコンテンツを提供するために限りない努力を積み重ねていることを実感しています。これからも彼女の作り出す世界を楽しみたいと思い、結びとさせていただきます。長文お付き合いいただきありがとうございました。

あとがき

短歌の世界では短歌には短歌で返す返歌という作法がありますね。
その作法に則って返歌を考えるならば、私の考える「ぽ」への返歌は
「ぼ」

ありがとうございました。

【参考】

Polka Ch. 尾丸ポルカ
https://youtube.com/channel/UCK9V2B22uJYu3N7eR_BT9QA

尾丸ポルカ Twitter

https://twitter.com/omarupolka?s=21

立秋🌏M3春 あ-02ab💿立秋ちょこ曲JOYSOUND配信中🎍
https://x.com/rissyuu

【ORIGINAL SONG+MV】ぽ - Omaru Polka【尾丸ポルカ/ホロライブ/4K】
https://youtu.be/TGJ9-1LWFtE

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