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今日は誰かの産まれた日

午前中。
静かな部屋のなかでキーボードを叩いていると、LINEの通知が鳴った。

出産予定日を迎えた友人から「陣痛が始まって、急きょ帝王切開になる!」という連絡だった。

予定日を過ぎてもなかなか産まれない、と心配していた彼女の顔を思い出し「よしよしいいぞ!頑張っておいで!」と返信した。

2年前、分娩台まで這っていった自分の姿を思い出し、ずいぶん遠くなってしまったような、まるで昨日のことのようなその出来事を反芻していた。

と同時に、これから産まれてくる子のことを想う。

男の子だと聞いているが、なんとなくママに似ているような予感がする。
名前も気になる。どんな想いを込めて、どんな名前をつけたのかな。

あたたかいお茶を淹れ直し、ふたたびPCに向かう。
カタカタ、カタカタ、とやっていると、開いた窓から見える青空がまぶしい。

晴れ渡る青空の下、友人は新しいいのちをこの世に産み出しているんだな……。

そんなことを考えていたら、こうして私がモノを書いているこの瞬間に、新たに産声をあげるいのちがあるという事実におののいた。

そうだ。
いつでもどこかで、誰かがその人生をスタートさせている。

そして、誰かをこの世に送り出すため、だれかが命懸けで戦っている。

それはとても普遍的なことだけど、ひとつとしておなじいのちは存在していないんだ。


たとえば、私は息子の出生時間を覚えている。
2021年12月5日、午前1時7分。3496g。
ぜったいに忘れることはないだろう。だってそれは私にとってほんとうに特別な瞬間だったから。

今日という日は、いつでも、どの瞬間でも、だれかにとっての特別な瞬間なんだ。
当たり前のことに改めて気づき、ぶわっと涙が溢れそうになった。


子よ、健やかに育て。
君の幸せを願う大人が、ここにもひとりいるよ。

母になる友人、そして産まれてきたかわいい子どもに幸多からんことを!

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