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私の出身地は京都。なんと言われても。

春になると、初めましての人が増えるので「出身地はどこですか?」という話によくなる。

私は京都出身です。と言うが、「嘘つけ!京都じゃないでしょ」と言ってくる人も結構いる。出身地コンプレックスがある人もいるのかも知れないけれど、私は決して、田舎者だと思われたくなくてこんなことを言っているのではない。

私は、京都生まれの滋賀育ち。本籍は京都の祇園です。小学校から高校まではずっと滋賀県の学校に通ってた。そりゃ、滋賀県出身でしょ、と言われるのも当然かもしれない。

でも聞いて!!!違うの!!!

私が幼稚園の年少さんの頃に母が入院し、子供達は両親の実家である京都に預けられた。

私はそれ以降幼稚園には通わず、小学校に入るまで、ずっと京都で自由にのびのび暮らした。

京都での生活は毎日が新しく賑やかで華やかで楽しかったけれど、やっぱり母がいない毎日は辛く寂しいものだった。毎晩写真を握りしめて泣きながら眠り、母の書いた油絵を相手に話しかけてご飯を食べた。

そんな私を見て、可哀想に思った大人たちはみんな優しくしてくれた。親族以外も、老人コミュニティに突如やってきた私を気にかけてくれた。

北野天満宮で梅を見て牛を撫で、ハトに餌をやり、八坂神社や大谷さんにお参りに行き、東山動物園に通い詰め、青蓮院に絵を飾ってもらい、祇園の舞妓さんに通り歌を教わり、祖母の化粧品屋に入り浸りお化粧遊びをして毎日を過ごした。

そんな毎日の中で、本当に色んな人に優しくしてもらったように思う。

近所の豆腐屋さんにおつかいに行くとおまけでゼリーを貰ったり、ご近所さんに面白いアニメのビデオを貰い、野良猫を追いかけて猫の集会所を突き止めたり、母に手紙を書くため字を習ったり、おばさんに魚釣りのおもちゃを貰ったり祖母の店の常連さん達にケーキを毎日貰ったり(ある日限界を迎えて吐いた。これ以来、未だに生クリームが食べられない)

そんなに京都が好きかと言われたら、そうでもないかもしれないし、滋賀県も大好き。でも、小さかった私を助けて育ててくれたのは、間違いなく京都の祇園と北野白梅町の人達で、私の人格はそこで形成されたように思う。

今でも悲しい時、辛い時はこの頃のことを思い出す。もう20年以上も前の思い出だけれど、その頃を思い出すと、「大丈夫!助けてくれる人はいる!頑張ろう!」と今でも思える。

だから、私は出身地は?と聞かれたら、「京都」と答えてしまう。周りの気迫に負けてつい、「滋賀です」と言ってしまった時の申し訳なさと悔しさと寂しさは、そういう所から来ているのだと思う。

本当は何をもって出身地と言うのか分からないけれど、私はやっぱり京都生まれの滋賀育ちだと思う。

そして、そういう人って、結構いるんじゃないかな?と思う。

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