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急にやってきた寂しさの理由

子どもとふたりで11月の海に行った。

昨日はいつになく瀬戸内の海のようなおだやかな1日。

その帰り道のこと。

信号待ちで夕日をみていたら

ふと、ものすごく大きな寂しさがやってきた。

特に思い当たる理由はない。

子どもも寝て、買い物して帰ろうといういい1日の夕暮れ。

しばらくこの寂しさを見つめていたら、

これはずっと自分の中にあるものだと思った。

子どもの頃、帰宅をするお母さんを夕暮れの家で待っていたあの頃から。

わたしの中にはずっとある寂しさのような気がした。

誰といても、どこにいても、何をしていても

その虚無という寂しさはあって、

見たくなくて携帯を触るようなことを、今も繰り返している。

そのことに、ふと気がついた。

今日すこしだけアーユルヴェーダの呼吸のクラスを受けて、染み込んできた言葉がある。

寂しさ」を感じるとき、本来の自分から離れているだけですよ。
全体意識を忘れている時に感じるだけですよ。わたしたちは肉体をもっているから分離意識の方が大きくなるから。
そういう時は呼吸をして感じてみたらいいですよ。

kyokoさんのことば

わたしはわたしであるということを握りしめて生きてきた。

だからこそ、この寂しさはわたしの一部だった。

手放すことはできなかったんだと思う。

でも、もういいかな。

この気持ちを受け入れて、

この寂しさを感じて、

流れる雲のように、移り変わる季節のように

眺めていたい。

穏やかな1日の終わりにやってきたこの感情が、何か大切な気づきを教えてくれた気がする。