エンタメ化社会わかりやすさの罠
※この記事は速読の練習用として使えるように、太字部分を読めば1,2分程度で読めるように書かれています。ぜひやってみて下さいね!
教科書にはどのページにもイラストが載っており、情報誌でも文字だけのページを見つけるのは難しい。小説にも挿絵や漫画が挿入され、ニュース番組でも綺麗なアナウンサー、カッコイイアナウンサーを揃え、ゆるキャラが天気予報を伝え、国会中継でもフリップが使用される。とにかく楽しさでいっぱいであり、どこを見ても「楽しいよ!」というアピールで溢れている。
こうしてなんでもエンターテイメント化された現代は、エンタメ化社会と言えるだろう。
なんにでも楽しい要素をいれ、とっつきやすく、わかりやすくする。視聴者もそれを求めており、とにかくわかりやすく、わかりやすくと作られる。
しかし、このわかりやすさには罠が存在する。
エンタメ学問
テレビもバラエティ化しており、学者の説明にもわかりやすさやユーモアが求められる。広告でも限られた時間や場所で視聴者に訴求しなければならず、とにかく一瞬のワンフレーズでのインパクトとわかりやすさが求められる。
しかし、そういったものに登場する学者は、書籍や講義のように十分な説明を行う時間がない。そのためワンフレーズの便利なキャッチコピーで分かった気にさせるとうことが常套手段となってしまう。
ここに一つ目の罠がある。
例えば前に書いた「脳を活性化させるな!」の記事で「脳を活性化させるな」といっているが、これもまたワンフレーズの罠に陥ってしまっている。その脳を省エネ化させる前に、脳を活性化させる必要があるからだ。これをちゃんと学ぶのなら、両方必要となるはずだ。
また、これも自分の記事で申し訳ないが、「和とは 古池や蛙飛び込む水の音の“古池”はどこにある?」での内容を「古池は存在しない!」と一言で済ませたとする。そして、その古池は芭蕉の心の中にあるのだと。
しかし、読んでいただいた方はわかるとは思うが、間違っとことは言っていないが、そんな簡単な話ではないのだ。そこに至るまでの過程や、その後のミックスなどの話などもあり、考えることはたくさんある。
しかし、ここまでワンフレーズのエンタメ学問を否定しているように思うかもしれないが、そういうわけではない。人々に教えたり、一般的に浸透させるような啓蒙活動のためにそれは仕方のないことだからだ。わかりやすさと正確さは、トレードオフの関係にある。どちらかといえばこれは、聞き手、学び手の問題であるともいえるかもしれない。
陰キャ陽キャの差別
最近は陽キャ、陰キャといった言葉をよく聞くだろう。簡単に言えば、陽キャは明るく陽気で、陰キャは暗く陰気なやつ(陽気なキャラクター、陰気なキャラクター)ということだ。また、陰キャはしばしば悪口として用いられる。
今まではこれに近い言葉はリア充、非リア充といったものであったと思うのだが、いつのまにか聞かなくなった。そしてその代わりというように、これらの言葉が台頭した。目立つものは陽キャと言われ、目立たないものは陰キャと言われてしまう。これもこのエンタメ化社会の象徴の一つだと言えるだろう。リア充、非リア充の方は当人たち当人たちの中で完結するものだが、陽キャ、陰キャは、周りから求められるという形での性格を表しているからだ。
現代のエンタメ化社会では、あらゆるものがエンタメとして提供される。そしてこの社会では人々もまた、そのエンタメの一部となっており、人は人からどう思われるか、周りからの評価が価値とされる。精神分析学者のフロムも、現代社会の市場経済の原理が個人の人間的な価値にまで及んでいると指摘した。
そんな世の中では他人を楽しませる、喜ばせることは当然であり、それをできないものは退屈なやつ、つまらないやつと評価される。これが‟陽キャ”と‟陰キャ”だ。
しかし、人間のパーソナリティとは様々であり、時代や地域によって限定されるべきものではない。このエンターテイメントとしての価値、周りを喜ばせることができるか否かによって陰キャ陽キャとレッテルを張られてしまうのは、差別や多様性の弊害になるのではないだろうか。
これもまたエンタメ化社会、わかりやすさが招いた弊害のひとつだと言えるだろう。
隠された真実
‟わかりやすくする”ということは、‟難しいことを省略する”ということでもある。
よく‟頭のいい人はわからない人にでもわかるように説明する”と言うだろう。これもその罠のひとつだ。確かに間違ったことは言っていないのだが、簡単に説明したものは時折悪意ある省略も行われる。
例えば詐欺などもそうだろう。あたかも「良いサービスですよ~」とわかりやすく説明をするが、都合の悪いところは隠されている。わかりやすくするには情報を省けばいいので、都合の悪い情報を隠蔽してしまえばいいのだ。それなのに聞き心地の良さがあってしまう。
つまりはわかりやすくというのは思考を奪い、騙すにももってこいの状態のするのである。
また、心理学の授業で「確証バイアスによって……」といった説明の件があるとする。確証バイアスというのは専門用語のため、わからない人のために「偏った情報の選択によって……」と言い換えるとする。しかし、確証バイアスというのは自らが支持する情報を無意識に集め、反証を無視してしまう、というような傾向のことを言う。「偏った情報の選択によって……」だと‟無意識”や‟反証を無視”などの認識が抜け落ちることになる。それによっての勘違いも生まれることもあるだろうが、聞いた本人はわかった気になれる。
これは言葉の言い換えであるが、同時に省略であるともいえる。
このようにわかりやすくする(情報を省略する)ということは、真実を隠したり、情報を捻じ曲げたり、認知度を低くしてしまう怖れがあるのだ。
世の中はいろいろなものがエンタメ化され、わかりやすく作り変えられている。しかしそれらには多くの罠があり、また、自分で考える機会をも失っているともいえるだろう。
「わかりやすくて良い」といった評価をよく聞くが、一概にわかりやすい=良いと決めてしまうのも、危険であるように思えてしまう。
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参考文献
「とにかく目立ちたがる人たち」(2006) 矢幡洋
「おどろきの心理学~人生を成功に導く「無意識を整える」技術~」光文社新書 著 妹尾武治
「「過剰反応」社会の悪夢」角川新書 (2015) 著 榎本博明