小説の会話をするとき、江戸川乱歩とエドガー・アラン・ポーの区別がまぎらわしい
〇月〇日
小説の会話をするとき、江戸川乱歩とエドガー・アラン・ポーの区別がまぎらわしい。ポーの話かと思っていると、乱歩だったりする。江戸川乱歩というペンネームは、アメリカの詩人・作家のエドガー・アラン・ポーをもじって付けたので、音が似ているのは仕方がない。
これにフランスの象徴主義の詩人、アルチュール・ランボーが混じるとさらに、ややこしいことになる。乱歩とポーとランボーの音が聞き取りにくいのだ。
もっともこれは、若いころの話で、年を取ると、この三者がごたまぜになる会話など、ほぼしない。したことがない。乱歩やポーはまだしも、ランボーになると、ほとんど語る人がいない。
私の周囲では、ブックライフ・コーディネーターの中村総一郎さんくらいだ。
〇月〇日
とある用事で、未知の場所に行き、たまたまそばにあったスーパーマーケットに入って、「ピーナツみそ」の場所を尋ねた。買って帰ろうと思ったのである。大好物なのだ。
「ピーナツみそ?」
店員さんは首を傾げた。そばにいた別の店員さんに応援を求めた。
「ピーナツみそ? 聞いたことがないな」
別の店員さんもそう答えた。どちらの店員さんも年齢は四十代のように見える。失礼ながら、極端に世代が離れているわけではない。
「みそピーとも言います」
と私が粘ると、「あるとすれば」と言って、店員さんに味噌のコーナーに案内された。違う。
ピーナツみそは私の子供のころからあった。
絶滅の危機に瀕しているのだろうか?
*家の近所のスーパーマーケットには普通にありました。
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