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【短編小説】終末兵器少女<外伝>


【あらすじ】
 世界を裏で操る<闇の政府>と戦うため、光の結社”アノン”直属の特務機関”シンジュク”によって開発された寄生型終末兵器”Q”をその身に宿す少女、ユリオ。そして少女を操縦することができる唯一の人類、オサム。
 彼らは激しい戦闘の最中、自分たちが”ピザゲート事件”の生き残りの子どもであること、そして事件が“Q”の適合者を選出するため”アノン”によって仕組まれたものであったことを知る。
 葛藤の末、オサムとユリオは”アノン”に反旗を翻し、命からがら”シンジュク”から逃走。
 夕焼けに沈む電車のなかで、束の間の休息の時を過ごすのであった——。


* * *

 いつまでも天井を眺めていたいのに、腹は減る。
 二時間以上続く空腹にいよいよ耐えかねて、俺は、しかたなく、布団から這い出した。
 真っ暗闇のなか、足を踏み外さないよう慎重にロフトから降り、手探りで照明のスイッチを押すと、いつものようにソファに並んで座って眠る少年少女の姿が目に入った。
 時刻は二十時。
 冷蔵庫を開ける。
 中途半端に余ったひき肉と、封の切れていない木綿豆腐が見つかった。
 トイレで排便しながらスマートフォンに「ひき肉 豆腐 レシピ」と打ち、検索結果をスクロールさせていく。
 【つくれぽ500件!簡単☆本格四川麻婆豆腐 】というのが、うちにある調味料だけでも作れて、良さそう。
 水を流しトイレを出ると、少年が目を覚ましていた。
「……あー、今日さ、夕飯、麻婆豆腐でいいかな。辛いやつ、平気だっけ」
 少年は隣で眠る少女の肩を揺すり、
「起きて。麻婆豆腐だって」
 と耳元で囁いた。
 少年の声に反応して少女が、目を閉じたまま、かすかに首を縦に振った。
「はい。大丈夫です」
 少年が答える。
 俺は薬を一錠飲み、さっそく調理に取り掛かることにした。
 レシピに書かれている手順通りに、まずは豆腐を茹で、次にひき肉や調味料を目分量でフライパンに放り込み、炒めていく。
 主に金銭的な理由から自炊をするようになってわかったことは、料理というものは、とにかく、ただただ、ひたすらにしんどくてだるい、ということだった。
 人の身体に入るものを、自分の手で作り上げなくてはならないのだという、この、とてつもない重圧感。
 ……やばい。考えたら息が苦しくなってきた。
 ソファに目をやると、少年が、まだ寝ぼけまなこの少女の髪をせっせと編んでいた。
 いったん火を止め、もう一度レシピを上から下まで確認する。……豆腐を混ぜ合わせる……酒や醤油やネギを加える……片栗粉でとろみをつける……ラー油と花山椒を振る……OK。大丈夫だ。できる。
 そう自分に言い聞かせ、あらためてガスコンロのスイッチを入れると、目の前のフライパンに意識を集中して、残りの工程を、とにかく、こなす。料理の完成だけを考えて手を動かした。
 すべての工程を終え、おそるおそる味見してみると、想像していた四川風にはほど遠いが、ちゃんと麻婆豆腐にはなっていた。
 ひとまず、安堵。
 もういいやこれで。できた。完成だ。
 食卓のうえに麻婆豆腐を盛った平皿を三つ並べると、少年は髪を編む手を止め、少女は、ふわ、と小さなあくびをした。
「ご飯欲しかったら、冷凍のあるから、言ってね」
 ふたりは首を横に振った。
 俺たちは両手をあわせ、心のなかで、いただきます、と唱えた。
 各々が、黙々と、俺の作った麻婆豆腐を口に運んでいく。
 このふたりと生活するようになって、もう一週間が経つというのに、俺は、いまだに彼らのことを何ひとつ知らなかった。名前すら知らなかった。なんか、めんどくて、あれこれ尋ねる気になれないまま、今に至っていた。
 俺は手早く自分のぶんの食事を終えると、「後片付けお願いね」と少年に頼み、さっさとロフトのうえに戻った。
 布団に潜り、また天井を眺める。
 しばらくして、下から、水道水の流れる音が聞こえてきた。
 生活の音だ、と思う。
 名前も知らない少年が、うちのキッチンでうちの食器を洗っている。
 水の流れる音が止むと、すぐに今度は玄関ドアの閉まる音が部屋中に響いた。
 どうやらあのふたりは今日もどこかへ出かけたらしい。
 無人になった階下を見下ろし、俺は小さく息を吐いた。

* * *

 ふたりと出会ったのは近所のゲームセンターで、俺はその日、数十年ぶりにメダル落としのゲームに興じていた。
 適応障害と診断され休職して一ヶ月が経ち、依然として軽い抑うつ状態のようなものは残っているものの、働いていたときのような、突然感涙するだの、手足が痺れて動けなくなるだの、椅子に座っていられないだの、パニックになって何も考えられなくなるだの、そういう発作に悩まされることもなくなり、ほとんど普段通りの生活を送ることができるようになっていた。
 かといって、積極的に復職したいとも思わない。
 自分の身の置き所が自分でもよくわからなかった。
 なんだかすべてが中途半端で、この有り余る時間を、どこで、どういうふうにして過ごすのが正解なのか、悩み、考える日々だった。
 その試行錯誤のひとつが、ゲームセンターで、メダル落としのゲームだった。
 普段やらないことをやろうと思ったのだ。
 でも開始数分ですでに帰りたかった。
 自分の投じたメダルが、山のように重なったメダルの群れに何の影響を及ぼすことなく、ただ吸い込まれていくのは、なんだか、ひどく虚しいものがあった。
 隣のおじさんがメダルを大量に落としている様子なのが、輪をかけて俺を情けないような気持ちにさせた。
 俺もおじさんみたいに、メダルがジャラジャラとこぼれ落ちる音をかき鳴らしてみたかった。
 しかし、隣を意識すればするほど、俺の視線は自分の台に釘付けになった。
 おじさんのプレイングを盗み見るのは、イコール負け、みたいな気持ちだった。
 どうして、俺は、こんな、人に頼るということが致命的に下手くそなんだろう、と思った。
 気がつけば、五百円で購入したメダルの半分以上が、何にもならずゲーム機に吸い込まれていた。
 ふと、後ろから視線を感じた。
 振り返ると、まだ中学生くらいの少女が、俺の手元を、正確には俺の手元のメダルカップをじっと覗き込んでいた。
 良く言えば澄んだような、悪く言えば無機質な目をした子だな、と思った。
 少女は微動だにしない。
 困惑していると、今度は高校生くらいの少年が現れて、メダルカップを指差した。
「そのメダル、ぼくたちで十倍に増やすんで、その代わり今日の夕飯、ご馳走してくれませんか」
「は?」
「ぼくたちに賭けてください。それ全部」
 結果からいえば、ふたりは三十分足らずでメダルを十倍どころか、二十倍にして返してくれた。残り35枚しかなかったメダルはあっというまに725枚にまで膨れ上がった。驚異的だった。少年が指示し、少女がメダルを投じると、面白いくらい大量のメダルがジャラジャラとこぼれ落ちてきた。もはや超常的な能力か何かを使っているとしか思えなかった。
「うちに作り過ぎちゃったカレーがあるから、それでよければご馳走するよ」
 大量のメダルを店に預け、冗談混じりにそう提案すると、
「いいですよ」
 あっさりと承諾された。
 俺は拍子抜けして、え、そんなんでいいのか、と安堵した。
 ……まあ、実際はそれだけでは済まなくて、いつのまにか俺のアパートはふたりの根城になり、俺はロフトのうえに追いやられ、一晩どころか毎晩の夕食の世話をする羽目になるのだが。
「あのさ、きみたち、他に行くアテとかないの?」
 一度だけ、そう訊いてみたことがある。
「ないですね。ぼくたち、トーボーチュウの身なんで」
 トーボーチュウ。
 逃亡中。
 そういえばあのときのメダルはまだ店に預けたままだ。

* * *

 目が覚めると十四時過ぎだった。
 下に降りるとふたりとも帰ってきていて、昨日とまったく同じ姿勢で眠っていた。
 俺はふたりを起こさないよう、そっと支度をして、家を出た。
 外はまだ寒く、曇っていた。
 電車に乗ることも考えたが、駅についた途端に急にだるくなってしまい、駅前をうろうろして、結局、サンマルクカフェに落ち着いた。
 どこに行くにも、何をするにも、お金が必要になる。
 コーヒーの一番小さいサイズを注文して、一番奥の席に腰かけた。
 鞄から書類の束を取り出し、そのうちの記入例が書かれた紙をぺらぺらと眺める。
 先日、郵送されてきた傷病手当の申請書をそろそろ仕上げなくてはいけなかった。
 こんなものをわざわざ書いて会社に提出しないといけないのだと思うと死にたくなってくるが、やらなければ本当に死んでしまう。貯金もほとんどないような俺にとって、これは切実な死活問題だ。
 しかし、記入例をいくら見ても書き方がイマイチわからない。そもそも、保険番号を書く欄があるのだが、保険証を家に忘れたので埋められない。
 ダメだ。
 開始十分で、もう、やる気を失ってしまった。
 終わってる。
 光熱費も物価もガンガンあがっていくのに、こんな、わけのわからない申請書を必死こいて書いても、俺の所得が上がるわけでもない。むしろ、下がる。傷病手当は収入の三分の二しか支給されない。
 貯金もない。
 今のままでは、いつまで家賃が払えるかもわからない。
 今の生活を維持するためには、遅かれ早かれ、いつかは仕事に復帰しないといけないのだと思うと、絶望的な気持ちになった。
 泣きそうだった。
 現実は圧倒的で、俺にはもうどうすることもできないような気がした。
 まったく太刀打ちできない。
 残された選択肢のどれを選び取っても、幸福になれるビジョンがまったく思い浮かばない。
 これまでの人生のすべてを俺は間違えた。
 何も積み重ねてこなかった。
 もう何もかも手遅れだ。
 本当に欲しかったものは何一つ得ることができず、ぶくぶくと肥やした夢や希望はもはや足枷でしかない。
 猛烈に、戻りたい、と願う。
 でも、どこへ?
 自分の人生を思い返してみて、楽しかった思い出はそれなりにあるけど、ここが自分の居場所なのだと心の底から安心できたような記憶はひとつもなかった。
 たったのひとつもなかった。
 どこにいても常に違和感が付き纏った。
 二十七年間もの長い歳月のなかで、俺は、自分の居場所ひとつ満足に獲得することができなかったのだ。
 悲しい。
 俺は負けた。
 すべてに負けた。
 白紙の申請書を鞄に戻し、薬を一錠、コーヒーで飲み下す。
 椅子に深く腰掛け、薬が効いてくるのを、目を閉じて待つ。
 待った。

* * *

「どこ行くの」
 日曜日。
 玄関で靴を履いていると、珍しく少女のほうから声をかけてきた。
 時刻は十二時。
 少年はまだソファのうえで眠っている。
「うん? 新宿だよ」
 ちょっとびっくりしながらそう答えると、少女の顔が、ほんのわずかにだけど、ぴく、と、強張ったのがわかった。
「病院。診察して貰う日だから」
 なんだか知らないが、一応、そう弁明しておく。
「そう。気をつけて」
「? えっと、はい。いってきます」
 よくわからないまま少女に見送られ、俺は家を出た。

* * *

 診察は一瞬で終わった。
 ヨドバシカメラの隣の薬局で処方された薬を受け取り、JRの改札口を目指す道中、医者に言われたセリフを思い返す。
「この感じなら復職できる日も近いと思います」
 頭がふらふらした。
 早く家に帰って天井を眺めたかった。
 人でごった返す日曜の新宿の地下街を急ぎ足で歩き、西口の改札を抜ける。
 幸いなことに総武線のホームは閑散としていた。
 ほどなくしてやってきた電車に乗り込むと、驚くことに車内には誰もいなかった。
 日曜日の午後なのに、完全な無人。
 不審に思っていると、三鷹行きの電車は車内点検のため発車が遅れます、というアナウンスが聞こえてきた。
 なんだか嫌な感じがして、反対側のホームに目をやり、思わずぎょっとする。
 ヘルメットを被った群衆がダーッと並び、ホームを占拠していた。
 見渡す限り、ヘルメット一色。
 あまりにも異様な光景に、頭がクラクラする。
 線路を一本挟んだだけなのに、反対側のホームはまるで別の世界みたいだった。
 人々は素手のままビッシリ隙間なく整列していた。年齢も性別もバラバラだった。誰も何も喋らず、じっとしていた。じっとして、線路のほうを向いていた。
 ふと、ヘルメットを被った人々の姿に、どことなく既視感を感じることに気づいた。
 良く言えば澄んだような、悪く言えば無機質な目。
 ……あの少女と同じ目だ。
 玄関先で俺を見送る少女の姿が脳裏に浮かんだ瞬間、電車のドアが閉まる。
 南口のほうで大きな煙があがっているのが、窓の向こうに見えた。

* * *

 何事もなく最寄駅に着き、スーパーに寄って家に帰ると、少年が、部屋の照明も点けず、膝を抱えてソファに座っていた。
 少女の姿はどこにもない。
「ひとり?」
 訊いても、少年は俯いたままで何も答えない。
 今日は【フライパンで簡単!我が家のパエリア】に挑戦するつもりだった。
 材料もきっちり三人分買ってある。
「今日さ、パエリア作ろうと思ってるんだけど、え、食べてくよね?」
「……やられました」
「うん?」
「”シンジュク”はぼくのコピーを用意してたんです」
「は?」
「ユリオはぼくがいなくても動かせる。ぼくは代替可能な、ただの部品でしかなかったんです。ユリオにとっても、”シンジュク”にとっても、ぼくはもとから必要ない存在だった。ぼくがいなくても戦争は起こせる」
 そう言うと、少年は自分の膝をぎゅっと強く抱きしめて、また押し黙ってしまった。
 俺は無性に腹が立っていた。
 暗い顔で俯くこの少年のことを、俺は、羨ましい、と思った。
 嫉妬していた。
 俺を悩ませるすべてを、この少年は何ひとつ持ち合わせていないのだ。
 そして彼には成すべきことがあり、この世界はきっと少年と少女を中心に回っている。
 俺はスーパーで買った食材を冷蔵庫にしまうと、処方されたばかりの薬を飲み、少年を放ってロフトのうえに戻った。
 布団に潜り、天井を眺める。
 いつまでもこうしていよう、と思った。
 戦争がはじまろうとも、社会復帰が迫ってこようとも、お金が底を尽きたとしても。
 そのためならどんな空腹にだって耐えてみせる。
 今度こそ。必ず。

いとうくんのお洋服代になります。