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中絶

30歳代前半のある年、中絶手術を受けました。
そのころの私は、自己肯定感が今よりも低く、物事を判断する力が衰えていて認知機能も低下していたと思います。

うつ病の治療で抗うつ剤と抗不安剤を飲んでいました。

当時の私は、母の兄、私から見て伯父に交際を勧められるまま、とても醜いある人と性交渉をする関係になりました。

全然好きでない人と性交渉をして妊娠しました。
妊娠なんてとんでもないことで、困り果てて怒りました。
中絶をお願いしようと地縁の無い産婦人科に行きました。

この産科医は先日、担当の妊婦に無理に性交渉をして逮捕されたとテレビで報道されていました。
確かに私もかかったことのある、見覚えのある顔でした。

産科医は、自分は不妊治療もしている、妊娠したくてもできない人もたくさんいる、あなたが飲んでるものと同じ抗うつ薬を使いながらちゃんと産んだ人だっている、子供を産んだら親御さんは喜ぶよ、と言い中絶手術の話題はかわされてしまいました。

そして私は、子供を産んで親に喜んでもらおうと思ってしまいました。
それなら結婚しなければいけない。この醜くて好きになれない人を親に紹介しなければならなくなりました。

この醜い人は私の親を目の前にして妊娠の話をしませんでした。
結婚させてくださいとも言いませんでした。

後日私は、母に妊娠したと言いました。
母は避妊に失敗したのかと言いました。
私は、お父さんには言わないでほしいと母に頼みました。
母は、「私にも言わないでほしかった。産んだって私は面倒見ないよ。おろしなさい。生まれた方がかわいそう。」と言いました。

私はほっとしてしまいました。
おろしていいんだ、おろせばいいんだ。
子供をおろせば好きになれない人と結婚しないで済む、妊娠もなかったことにできる、と考えたからです。

実家の側の産婦人科で中絶手術を受けました。
実家に帰る道を独り歩きながら、やはり私はほっとしていました。

少し後、結婚した妹が妊娠しました。両親はとても喜びました。
生まれた子供は障害児でした。毎日のように母が育児を手伝いに行きました。
父は母の送り迎えや、妹と孫の病院通いの運転手を担当しました。
家族総出での育児です。

私は、中絶手術以前以降、変わらず家族に疎まれています。
母も妹も私の過去の妊娠や中絶について話題にしたことはありません。
話題にしないでくれてありがたいと思っています。

ただ私はひそかに本当に生まないでよかったと考えています。
育児の孤独のなかで、嬰児に何をしでかしたか分からないからです。
私の子供だった胎児へ、生まれてこないでくれて本当にありがとうございました。妊娠してしまい、本当に申し訳ございませんでした。


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