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腹鳴恐怖症だった私と吃音症の娘NO.121 noteを始めたおかげで、私が影響を受けた中の1人の人。

今年も残り1週間程。

今年はnoteを始めたおかげで、お会いすることは今のところないのだが、影響を受けたと思える人が、私の中には数人はいらっしゃる。

顔出ししていない方を、どんな方だろうと、勝手に想像を膨らませながら・・・
(自分も顔出ししてないのですが)

今年、Zoomカウンセリングで奇跡的な出逢いができた、ふじわら先生は言うまでもないが、色々な方の文章を読んでは、良いことは取り入れて、今では習慣になっていることもある。

ここでは、あえて、自分の中にしまっておこうと思う。

ちょうど一年前までは、娘の吃音症のことも、オンラインゲームや、YouTubeを見ることも、あたまから否定するような心ない言葉を娘にも言っていた。
もちろん、上の息子たちにも似たような子育てをしたのだと思う。

それから、吃音のことも学校を通して、病院を紹介していただき、ペアトレの勉強や、児童デイサービスも行かせてもらっている。

ペアトレの勉強会は、終了したのだが、その頃から、ふじわら先生のおっしゃることと、ペアトレの勉強会で学ぶことは、自分の中で繋がった。

娘が5年生の時、学校を休みがちになった。
このままではいけないと思い、仕事もタイミング、いや、今思えば他人軸だった自分の責任で辞めたのだ。

仕事を辞めたおかげで、素敵な出逢いもあり、娘のことも、学ぶことができたと思う。
全くと言って後悔はない。

失うものがあって得るものがある。

一つのことを捨てることにより、一つのものが入ってくる。

私は、どうにかして、娘をただ、親として、学校に行かせようとしていたのだと思う。

そんな中、noteで、ある1人の人に出逢う。

私はどんどん引き込まれるように、その方の200近くある投稿を、ほぼ読みきった。
その方も、私のnoteをたくさん読んでくださっています。

私は正直、自分の本当の心はどうだったのか、小、中学生の頃に戻ったつもりで考えてみた。

私は、本当は不登校したかったんだと思う。
うちは、祖父が学校の先生だったので、私の父も、引っ越しを繰り返してきて、やっと、祖父の定年で山奥の分校の校長先生だったらしいが、そこが最後で、山奥で養鶏場を始めたらしかった。

私は子供の時、なかなか、言葉が出なかったのか、話したくなかったのか、自分でもよく分からないが、おとなしい子と言われていた。

祖父も、家を空ける、そんなことも多々あったようだけど、私にとっては、厳しいとしか思えなかった。
本当は学校はあんまり行きたくなかったのだ。
今思っても、正直なところ、不登校したいのが本当の気持ちだったと思う。

しかし、うちでは、養鶏場の手伝いが毎日待っていたし、教育者の祖父も、その息子である私の父も厳しかったと、私は記憶している。
面倒だった。

休むと、うるさいから、かなり、我慢して学校もほぼ休むことなく行っていた。
10歳の時に大好きだった母も亡くなった。
ショックすぎて受け容れられないまま大人になったのだ。

私は腹鳴恐怖症になっていったので、かなり、メンタル面は、やられていたことには、間違いない。
トータル40年も悩まされたことになる。

今、カウンセリングを受けることができて、つくづく思う。

どれだけ、私の心は、我慢したんだよ。
小学生の頃の自分に、ごめんねと、今年謝った。

前置きが長くなってしまいましたが・・・

私が影響を受けた中の1人の人が、ふくのり@元不登校さんという方です。

どれもこれも、心に響く文章で、どの記事を、ご紹介しようか考えましたが、敢えて、一つの記事にしました。

ふくのり@元不登校さんの記事はこちら

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ふくのりさんは、元不登校とクリエイター名についてるので、不登校だったとは、この時点でわかると思います。

私はずっと、不登校(登校拒否)はいけないことだと思っていた。

ふくのりさんも、本当は学校には行きたかったが
行けなかったのだ。

私とは違う生きづらさを抱えていた。

ふくのりさんは、初めは学校へ我慢して行っていたが、やっと、お母さんに、行きたくないと打ち明けて、それからは、お母さんが、親身になり接しておられるし、家族も理解が割とあったのだと思います。

私よりも、とてもお若いのだと思いますが、ふくのりさんは、フリースクールや、アルバイト、通信制高校を経て大人になっています。

ふくのりさんに、考え方など重なる部分があるなと思いながら、最初は読ませていただいていました。

でも、途中から、私とは、かなり違うんだなと、思いますが、似てる部分や、共感できる部分もたくさんあります。

私と、ふくのりさんの、どこが違うのかというと、私は学校に行きたくないと、心で思っていても、我慢に我慢を重ね、自分のことを本当の意味で理解してくれる人が周りにいなかったため、学校に行き続けたし、嫌なことも、すごく我慢してやっていたことも、長年あった。

ふくのりさんも、最初は、行きたくないと思っても我慢してたけど、やっと、お母さんに思いを打ち明け、不登校になった。
後に、フリースクールに行かれるのだけど、どんどんやりたいことをやっていって、楽しいと思えるようになった。
この経験値はとても大きいと思います。

私は心では、我慢をし続けて、心は登校拒否をしたかったが、無理して学校にも行った。

ふくのりさんは、登校拒否をして、良かったと言っている。

そこが、私との違いだと思う。

私は、未来を見過ぎていたのかもしれない、娘が、不登校になったらどうしよう・・・
と、心の中で思っていたから、ふくのりさんのnoteに出逢ったのだと思う。

今、娘の頭の中は、卒業式、そして、中学入学、これが頭の中のほとんどを占めているようだ。

吃音がありながらも、普通に中学生に夢見ている。

私は、不登校を勧めているわけではないが、もし、私が経験したようなとても辛いことが、娘にもあったとしたら、私みたいに我慢に我慢を重ねる必要はないと思っている。

何かあった時、母親である私に、何でも相談してほしいと思っている。

それが私にはしたくても出来なかったことだから。

そして、そんな、フリースクールなんてところがあったのなら、私も行きたかったな・・・

不登校の人のことも、前は理解できないと、正直思っていた。
しかし、今は違う。
ふくのりさんのnoteを読ませていただいて、こんな世界もあるのかと、娘の将来を心配しすぎる必要はないと割り切れた。

もし、身近に、学校に行きたいけど行けない、こんな心の持ち主がいたら、是非、ふくのりさんのnoteを読んでいただきたい。

私は、ふくのりさんに、とても影響を受けた1人である。

ふくのり@元不登校さん、いつも、素敵なnoteの投稿をありがとうございます。
これからも、読ませていただきますね^_^

長くなりましたが、今日も、最後までお読みいただき、心よりありがとうございました^ ^





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