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腹鳴恐怖症だった私と吃音症の娘NO.106 学校に行かせることだけが全てではないと思えた日。

昨日、11月22日(月)いつも、娘の吃音でお世話になっている病院へ行ってきました。
次の日が祝日(勤労感謝の日)ということもあり、昨日は、夕方6時くらいまで病院にいて、それから、娘が好きな、マクドのハンバーガーを食べて、食料品などの買い物をして家に帰ってきました。
義母は、デイケア後、主人にみてもらいました。

いつもだったら、ブツブツ文句を言っていたのだけれど、昨日は、正直、あれ?っと思ってしまった。
それは口には出しては言っていないけど。
機嫌良く買い物に付き合った娘だった。
結局、夜ご飯は、マクドのハンバーガーになったのだけれど、娘は大満足。

おそらく、娘は、今の家庭環境がちゃんとわかっているのだろうと思う。

義母が施設から突然帰ってきてから、買い物は、主人に頼まないと買えなかったこと、前みたいに、そこまでの自由はきかないこと。

これは、義母が急に、施設から帰ってきて、娘も学んだことだと思う。

昨日は、病院も、実は30分遅れ。
遅れたからといって何もないのだけれど。
金曜日、学校を休んだ娘は、時間割をお友達に聞いてというから聞いて、そしたら、え?なんで、明日に限って、と言った。

税金のことを学ぶ時間があった。
嫌な予感はしていた。
先生にも連絡帳では伝え、でも、時間が来ても、娘は学校から出てこず、私は、税金の話があると言っていたから、おそらく、抜け出せずにいると思い、ずっと、車で待っていた。
娘は、気持ちが焦っていたようで、かなり遅れて、車まで来た娘は、涙目だった。

いいの、いいの、遅れたっていいよ、別に遅れたからってな何もないと言い、病院に電話をかけ、遅れると伝え、以前行っていた時間に戻っただけだと思った。

娘にとって、病院で接してくださる、美人でまだ20代半ばの先生と、話したりするのが楽しいのだと思う。
1時間、独り占めというのか、自分の話は何でも聞いてくれるからだと思う。

昨日は、扉を挟んですぐ隣に小さい子がいて、賑やかだったらしく、メンタルリハーサルはしないで、フリートークと、トランプなどをしたらしい。
学校で今流行っている、スピードなどをやったらしく、修学旅行の話もしたと言っていた。

昨日、私がいつも読ませていただいているnoterさんに、ついに、コメントをした。
返事もいただき、とても嬉しかった。
この方は、中学の時から不登校になったそうで、私の腹鳴恐怖症と重なり、共感できて、どんどん、はまっていき、毎日のように読ませていただいています。
学校を休みたい、行きたくても行けない、そんな本当の気持ちを綴っていて、私はとても納得してしまう。

私の子供の頃の家庭環境が学校に行くしかなかった、本心は行きたくなかった。だけど、その方はそうではなかった。

おそらく、誰もが学校に行きたくない日はあるのだとは思う。

私はその方の投稿を読ませてもらうまでは、どうにかして、娘を学校に行かせることに頭が集中してしまっていたのだと思う。

娘の気持ちがわかっているようで、わかっていなかったのだと思うし、もちろん、今でも自分以外の人の本当の心の中はわからない。

だから、学校に行きやすいように、学校に配慮、配慮と何度も何度もお願いした。
それは間違いではなかったと思う。

学校に行くのが良いのか、行かない方が良いのかと問われれば行く方がいいとは、もちろん答えるだろうけど、一概に、全ての子供さんが、それで良いとは言いきれないと、私はそっちの考えに傾いている。
要は、子供の思いと真正面から向き合うことだと思う。

自分の子供の頃、逃げ場がなかったのだと思う。
自分の気持ちがわかってくれる親でもなく、母親は、私が10歳で亡くなった。
私の気持ちは誰もわかってくれなかった。

その方は、お母さんがいらっしゃって、とても良く子供さんのことをわかっているのだと思った。
私の母親がもし、元気ならわかってくれていたのかなと思ったりする。
時代の流れも感じる。

私は一年くらい、病院に娘を通わせ、自分もペアトレの勉強と、たまたま、自分の腹鳴恐怖症を諦めかけていた頃、本当に、奇跡的に出逢った、ふじわら先生のカウンセリングも同時進行だった。

今思っても、奇跡的な出逢いだと言いきれる。
こんなに綺麗な出逢いがあるのだろうかと。

それなりに素敵な出逢いはたくさんあったと自分なりに思うが、自分の腹鳴恐怖症のことをちゃんと、理解してくれる人は、たった一人、ふじわら先生だけだと思う。

私のnoteを読んでくださる方には、ふじわら先生が、何度出てくるんだよと思われているかもしれませんが。
それだけ、40年間苦しんだことを忘れるくらいの奇跡的な出逢いだったので、心が軽く、自分に正直になりました。

子供の頃なんて、家の周りと学校しか知らなかったようなものだった。

昭和と令和の現在では、目まぐるしく時代は変化した。
色々な人がいて、色々な人が認められる時代。

一年前までは、自分の腹鳴恐怖症のことも、娘の吃音症のことも否定していた。

だけど、今は胸を張って違うと言いきれる。
娘の1番の見方は、母親である私であり、色々なことも、だんだん、娘に決めさせる時がきたと思う。

明日、知り合いの方から、中学の制服や、習字道具など、色々な物のお下がりをくださるとのことで、とてもありがたい話で、いただきに行きますが、中学になるのを楽しみにしている(少々ビビり気味ですが)娘です。

私が言ってるのは、不登校を勧めているわけではありません、あくまで、もし、行きたくないとなった時にどう、その時に向き合うかの話です。

一人でも多くの方に、私の気持ちが伝わると良いなと思いながら、今日のnoteは書かせていただきました。

またまた、長文、ここまで読んでくださって感謝いたします。

今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました^ ^




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