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「考察する時間を設けるようにしないかぎり、私たちは慣れ親しんだ社会秩序にただ無意識的に従い、差別に加担することになるだろう。」

『あなたには差別が見えるだろうか。構造的な差別は、私たちの感覚にとっては自然な日常にすぎない。そのため、差別を認識することは難しい。奴隷制が普遍的だった時代には、奴隷の存在は当たり前のことと認識され、女性に投票権がなかった時代には、それが当然のことと受け止められていた。
(中略)
一方で、有利な立場にいる人は、抑圧を感じる機会は少なく、視野はさらに制約される。かれらは、差別が存在すると言う人を理解できず、「過敏すぎる」「不平不満が多い」「特権を享受しようとする」などと相手を非難する。』
キム・ジヘ「差別はたいてい悪意のない人がする」

こんな動画を見せられた。

小籔千豊が旅館で布団に入り、さて寝ようかとしていると襖の向こうから声がする。彼がお金を払って来てくれた女性のよう。
襖に背を向け、期待を膨らませじっとしていると、現れたのは顔を黒く塗った渡辺直美。
観客の笑い声が聞こえる。ここが一番の笑いどころらしい。渡辺は変な動きでうしろから小籔に近づく。みんなまた笑っている。

全く面白くない。
その旨やんわりと伝えると、「このお笑いが理解できなかったか。」との返答あり。
いや、理解はしている、どこでどう笑わそうとしているか。こちらがそのお笑いのレベルに達していない訳ではない。

僕が笑えなかったのは、内容がいくつかのカテゴリのひとを見下すようなものだったからだ。
・色っぽい女性の声がする
 →ところが現れたのは渡辺直美

この落差で笑わそうとしているんだろう。
差別的過ぎるでしょ、何重にも。
同時にこれは渡辺自身に対する暴力でもある。
五輪開会式の演出が問題になるより前の動画だったと思う。

『だから、私たちは疑問を持ち続ける必要がある。世の中はほんとうに平等なのか。私の人生はほんとうに差別と無関係なのか。視野を広げるための考察は、すべての人に必要だ。私には見えないものを指摘してくれるだれかがいれば、視野に入っていなかった死角を発見する機会になる。考察する時間を設けるようにしないかぎり、私たちは慣れ親しんだ社会秩序にただ無意識的に従い、差別に加担することになるだろう。』
キム・ジヘ

もしいま「あなたこそ・・」と言い返せるなら、外見や身体的特徴をネタにすることは暴力だと、そろそろ理解のレベルに達してほしいと言う。

あれをみて笑っていた人たちは、なぜそのことに気が付かないのか?本人が悪いわけではないと思う。多くの場合、原因は構造にある。
そのいくつかは例えば、社会的に有利な立場にいること。そして、忙し過ぎること。

「考察する時間を設けるようにしないかぎり、私たちは慣れ親しんだ社会秩序にただ無意識的に従い、差別に加担することになるだろう。」

大小あれど、死角は誰にでも存在する。
だから自分も無意識に、差別に加担しているかもしれない。
なんだか上から目線な文章になったけど、あくまで自戒を込めてです。


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