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お金持ち、は全てにおける勝者ではない

僕は電気工事士の仕事をしています。
いま、かなり"VIP"な方の別荘をつくっています。(上のツイートの人ではないです。なお、この考え方にはまったく同意できません。)
もう完成間近で備品も設置され、トイレはとてもよい匂いです。同僚の調べによると、芳香剤は10800円とのことでした笑。
リビングにはみんな大好き印象派〇〇の蓮の絵が飾られています。何億するんでしょうか、。

言いたいことは何かというと、
お金を持っていることや会社を経営することは確かにとてもすごい能力です。僕にはできません。ただ、だからといって、彼ら社会的に成功をおさめた人たちは私たち"庶民"よりも「すべての点において」優れているわけではないです。

例えばスポーツの世界では、「サッカー」のリーグ王者、「ボクシング」の世界チャンピオンというように種目毎に分かれています。

同じように、彼らセレブは単に「消費社会」という競技のなかでの勝者でしかありません。

サッカーが好きなひとはメッシを神のように崇拝していたとしても、興味のないひとにとっては「メッシ?あ〜、あの長髪のひと?」くらいかもしれません。メッシはもう何年も前から短髪です。

セレブに憧れているひとは、彼らCEOたちを崇拝しているかもしれませんが、私たち全員がそういう訳ではありません。少なくとも僕は興味がない。

僕はたしかに豊かな生活を送りたいとは思っているけれど、それはイコールお金持ちになりたいということではない。大きな家にメイドを雇って住むよりも、隅々まで目の行き届く範囲の広さの家で細やかに手入れをしながら生活することのほうが僕は豊かだとおもう。厨房でシェフにステーキを焼いてもらうよりも、自分で肉野菜炒めを作って食べたほうが満足感を得られる。壁にモネの絵なんかいらないし、アルマーニのソファもいらない。僕には足を使って得た教養がある。古本や名画座で学んだ文化芸術に対する深い造詣がある。自分の好きなものがちゃんとある。土台がある。だから安易にブランドに憧れたりしない。

「消費社会」で勝つことに価値を感じるひとは、もちろんいてもいい。それはそれでよい。ただ、全員がその競技に参加する必要はない。
なにに重きを置くか、どんなことに豊かさを感じるか、それは一人ひとり異なるはず。生活の良し悪しを評価する基準は、お金の有無だけではない。

僕らは知らず知らずのうちに、大きくて力のあるものに纏(まと)められそうになる。いつのまにか、その集団の一員となってしまっている。
大事なのは、その状態に気付くこと。そしてその集合から独立すること。それが、(自分も含めた)個人を尊重するということなのかもしれません🙂。

『個人の自由、これは何よりも尊重されなきゃいけない、という考え方は、今ちょっとかすんでいると思いますね。個人の自由は大きな権利で絶対守らなきゃいけない、国や家族、地域社会よりも優先するんだ、ということがね。』
山田洋次 /しんぶん赤旗

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