今日も日常を幸せに暮らしている
午前中いっぱいが丹波の森で研修を行っていて、お昼には皆さんとお別れしたら、もうずっと今日はそんなに急ぐべきこともなくゆったりしていた。
ひさびさにゆっくり寝てしまおうと思って昼からすっかり寝てしまって、4時間30分ほどこってり寝て、もう本当にお腹も空いてないし、眠る気持ちもなくなったし、この家にはみんなもいてくれるので孤独な気持ちもないし、子どもも健やかに育ててもらえているし、両親も好きなことをして幸せに生きていて、兄弟も忙しい毎日を大事に暮らしているような気がする。
なんもやるべきことはないのに、なにかをしなければいけないような焦燥感にあてられるようなことは、最近はもう手放せてきたような気がする。
まだ完全にではないかもしれないが、明らかに乗りこなせるような感覚が掴めてきたような気がする。
ふと立ち読みで気に入ったトルストイという、キリスト教にまつわる小話をたくさん残したロシア人の作家の本が家に届いていたので、最近おしゃれに新住人のさいかちゃんが飾ってくれた「離れのアトリエ」で静かに座って、ゆっくり目を通してみた。
トルストイめっちゃいい。パウロ・コエーリョが好きな人ならば、おそらくトルストイの話はとても気に入るんじゃないかなと思うけど、どうだろう。
面白いので一気に5つくらい話を読んでいたら、ふと小腹が空いてきた。
すると母屋のほうからトントンガチャガチャと物音がして、遥ちゃんとさいかちゃんが食事の用意をしてくれている。
今日のご飯は炊き込みご飯、オクラとモロヘイヤと海藻のネバネバ和え、なすびのお刺身、夏野菜たっぷりのオムレツといった豪華なメニュー。
すこし調理を手伝って、すこししたらご飯が炊けて、料理が出てきて。
ちょうど良い頃に男子メンバーは帰ってきて、どうやら王子とエンゲルは、昨日の夜に雨で滑って事故ったらしく、今日は病院に行ってきたみたい。
留学生のユウくん、東京オリンピックのボランティアの面接があって、大阪で面接を受けてきたらしい。
あきちゃんはパン屋の仕事からまだ帰ってきてなくて、そのうち帰ってくるかなーと。
さてみんなでいただきますをして食べ始めて、うまいうまいと食べる。僕がこの食事をとても幸せなことだと思うのは、ちゃんと大晦日と元旦に寂しさとは何かをきちんと見つめて向き合ったからだと思うし、家族で暮らす幸せのことも、それが失くなってしまう悲しいことも体験したからだ。
日常のすべてのことは、これまでどんな体験をしてきたのかによって、見える景色の中にある嬉しさを受け取れるかどうかが決まるように思う。
そこにあることは当然のものなのか、はたまた儚く消えてしまうようなものであるのに、感謝もなく当然と思い込んでしまった結果、ぞんざいな扱いをして失うことになってしまった、取り戻したかった大事なのものなのか。
痛みを伴う経験というものは、未来に同じような体験をする際には感謝をもって、その体験に嬉しさを伴うことによって癒されていくし、その経験があってよかったと思うようなものだと思う。
さっきまで食卓でイントロクイズをやって、どのアニメの主題歌でしょうかってなやりとりをしていて、大変バカらしくて素敵な時間だなと思った。
そうこうしているうちにあきちゃんも帰ってきて、散歩に行きたがるマメタの要望に応じて、なかなかの雨の中で散歩に連れ行ってくれてずぶ濡れになっていて、理解できない素晴らしい優しさを持っていて感動する。
たまにこうして丹波でゆっくりできるとこんな時間が流れていて嬉しい。
ほんと恵まれているとしか言いようがないなと思う。
急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。