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【SF小説】 母なる秘密 2-1

【あらすじ】
高校三年生の林英治は、幼い頃に父が他界し、母の美絵子と二人で暮らしていた。ある日、母の言動に立て続けに異変を感じた英治は、何者かが母になりすましているのではないか、と疑念を抱く。その正体を追った先で、英治は驚愕の真実に辿り着く。

 その週末、英治は自室で机に参考書を広げ、数学の問題を解いていた。

 扉がノックされ、美絵子が顔を覗かせた。

「ちょっと出かけてくるから、夕方まで戻らないかも」

「わかった」

 問題に没頭するふりをしながら、英治は内心でガッツポーズを取った。思ったよりも早く好機がやってきた。

 美絵子の偽者をXとする。

 Xはどうやって母とすり替わったのだろうか――英治は、美絵子の身が心配でならなかった。

 とはいえ、闇雲にXを問いただしたところで、はぐらかされて終わるのは目に見えている。Xの行動を監視し、その尻尾を掴もう、と英治は考えた。

 だが、Xに悟られてはもとも子もない。学校をサボって仕事中のXまで監視するわけにはいかず、ここ数日は堪えるしかなかった。

 英治は、美絵子を騙り、職場で上手く立ち回るXを想像して苛立った。自らの母の姿をした正体不明の存在と暮らすのはあまりに気味が悪く、彼の精神が限界を迎えるのも、時間の問題だった。なので、この機会を逃すわけにはいかなかった。

 Xが扉を閉め、一階に下りていくのを見計らって、英治は服を着替えた。灰色のTシャツにカーキ色のチノパンと、できるだけ目立たない服装を選んだ。このときに備えて下校中に買っておいた、黒色の無地のキャップも被る。

 スマホをチノパンのポケットに突っ込んだ後、財布や小説をリュックに詰め、英治はそれを背負った。音が鳴らないようにゆっくりと扉を開き、部屋を出る。

 階段の脇で息を潜めていると、玄関の重い扉が開閉され、鍵のかかる音がした。

 英治は急いで一階に下り、裏口からデッキに出た。家屋を迂回して表に回る。

 十数メートル先にXの姿が見えた。

 当然、尾行などしたことがない。Xを見失うぎりぎりまで、距離を取ることにした。土地勘はあるので、方向さえわかれば、ある程度は通る道を予測できる。

 三十メートルほど進んで、Xが右に曲がった。英治は歩くスピードを上げ、後に続いた。

 それから、その道を直進し、Xは大通りに出た。

 Xが上りのバス停に並んだ。英治は大通り手前の道に身を潜めたまま、様子を伺う。

 生憎、午後二時ということもあり、バス停にはXの他に二人しかいなかった。待機列には身を隠せそうにない。

 英治からバス停までは六、七メートル。バスが出発する直前に乗り込むしかない、と英治は考えた。

 だが、もしXが後方の席に座るようなら、見つかるのを避けるため、バスには乗り込まずに通り過ぎるしかないだろう。

 駅方面のバスということは、下校中の三宅とすれ違った日に訪れていた場所へ向かうのだろうか。せめて行き先だけでも明らかにして帰りたい。

 その後、新たに三人がバス停に並び、十分ほどしてバスがやってきた。

 バスが停まる。その扉が開くタイミングで、英治は歩き出した。

 窓から車内を覗くと、幸いにもXが車内前方に進んでいくのが見えた。英治は尾行を続けることに決め、バスに乗り込んだ。

 ICカードリーダーにスマホを翳し、席につく。最後部から二列目の通路左側、Xの背後になる席を選んだ。

 バスが発車する。

 いくつかのバス停を経て、英治が通っている高校も通り過ぎた。

 乗車してしまえば、利用客が少ないのは好都合だった。新たに乗ってくる客も少なく、尾行の妨げになることはない。

 高校を過ぎてから三つ目のバス停に差しかかるとき、英治の前席に座る乗客が停車ボタンを押した。

 バスが停まる。

 そのとき、Xが席を立った。

 英治は気が急き、Xが精算機に向かうより先に立ち上がってしまった。停車ボタンを押した乗客が間に入ってくれたおかげで、目立つことはなかった。彼はたまらず安堵の息をついた。

 Xが降車し、バスの進行方向へ歩いていく。

 一人を挟んで、英治もバスを降りた。十分に距離が開くのを待ってから、Xの後ろをついていく。

 暫くすると、大きな電気屋が見えてきた。Xが下校中の三宅とすれ違った場所だ。

 Xは電気屋を通り過ぎ、脇道に入った。その道は英治も通ったことがなく、より気を引きしめてXを追う。

 すぐに住宅街に出た。

 それから、Xはある公園に入っていき、男女別式の公衆トイレに消えていった。さすがについていくわけにいかず、英治は公園の入口付近のベンチに腰を下ろした。

 公園は広々としており、四百メートル四方はある。遊具は滑り台とブランコを併設したものしかなく、公園のへりに沿ってイチョウが植えてある。数組の親子連れと、小学校中学年のグループで賑わっていた。

 ここがXの目的地だとは思えないが、できるだけ記録に残しておきたい、と英治はスマホのカメラアプリを起動した。リュックから小説を出した後、その内側にスマホを隠し、トイレが映るように録画を開始した。

 四分ほどして、スーツ姿の長髪の女性がトイレから出てきた。小学生の男児二人も、トイレに入り出てきた。

 だが、それ以降は何も起こらず、三十分が経っても、Xは出てこなかった。

 英治は不安に思い、録画を停めてトイレに向かった。

 建物の周りを調べてみる。

 裏手の壁、一・六メートルほどの高さに窓が二つ。男女のトイレに一つずつあるのだろう。横長の滑り出し窓で、両方とも半分だけ開いている。

 Xは尾行に気づき、トイレから脱け出したのだろうか。

 だが、窓から脱け出すのは不可能に思えた。窓枠は美絵子やXの体格なら何とか通れそうな広さだが、窓ガラスが邪魔になるだろう。

 英治は建物正面に回り、男子トイレに入った。女子トイレとどれだけ造りが同じかわからないが、入口から出る以外に方法はなさそうだ。

 ベンチに戻り、その後も一時間ほど待ってみたが、収穫はなかった。絶対に証拠を掴んでやる、と息巻いていただけに落胆は大きかった。

 とにかく、今は尾行がばれていないことを祈ろう。

 英治は重い足取りで公園を後にした。


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