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僕がフリーランスになるまでのストーリー
フリーランスとして活動し始めて22年。気づけばずいぶん長い間フリーランスで活動しています。僕が、なぜフリーランスになったのか、その理由と経緯を綴ってみました。
夢を追いかけていた20代前半
僕はもともとミュージシャンを目指していて、20代前半は全力でバンド活動を頑張っていました。僕の担当楽器はベース。曲作りもしていて、全体をまとめるプロデューサー的な立場でもありました。
オーディションにも積極的に挑戦し、デモテープを送りつけたのは、数えきれないほど。ライブ活動だけでなく、各種イベントにも積極的に参加して、あの手この手で業界にアプローチしてきました。
その甲斐あってかレコード会社から引き合いがあり、一旦はデビューできる!というところまでこぎ着けました。あとは引き受ける事務所が決まればGOというところまで来ていたのですが、突如レコード会社の都合で話がご破算に。
初めての挫折
夢を打ち砕かれ、初めての挫折感を味わい、再び音楽に向かう気力が無くし、どうしていいか分からなくなってしまいました。
そんな時、知り合いから声をかけていただいて、なぜかデザイン事務所に就職することになりました。もう音楽はあきらめて、これからはデザイナーとして生きて行こうと決意して就職しました。
デザインの仕事は楽しく、音楽を作るのとは違うけど、クリエイティブに使う頭の部分は同じような気がして、それはそれで満足していました。
あきらめた、と思っていたのに・・・
そんなある日、昔売り込んでいた、とある事務所から、作曲コンペの話がやってきました。僕はもうデザインの世界で生きていくと決めたので、もういいやと思ってその手紙をほったらかしにしていました。
しかし、挑戦しないでいるのも嫌だなと思い、締切1週間前になって突然作曲に取り組み始め、締切ギリギリに応募。
それから半年ほどした頃、応募したこともすっかり忘れていたのですが、突然応募した事務所からカセットテープが届きました。資料をわざわざ返却してくれたのかなと思い、開けてみると、それは僕の曲が見事にアレンジされ、歌手が歌った、発売前のデモテープでした。
そう、僕は、作曲家としてのデビューが決まってしまったのです。
それでも、一度音楽業界に裏切られた気分でいる僕としては、CDが発売されるまで信じられず、喜び半分、疑い半分。そして迎えた発売日、CDショップに行くとその曲のCDがちゃんと並び、晴れて僕は本当に作曲家としてデビューしてしまいました。
とても嬉しかった。でも、反面、心中穏やかでなくなりました。もうデザイナーとして生きて行こうと決めたのに、夢にまで見た音楽の仕事でデビューできたことで、気持ちが揺らぎ始めてしまったわけです。
作曲家として活動したい
そう、「作曲家として活動したい」そんな思いが芽生えてしまったのです。
時を同じくして、以前に雑誌に応募していた曲が最優秀賞に選ばれ、雑誌付録のCDに曲が収録され、最優秀賞の賞品までいただきました。
これは「作曲家として活動しろ、ということなんではなかろうか」という思いが頭をもたげ、さらに気持ちが揺れることに。
そしてモヤモヤしながらもデザイナーとして仕事をしている中、知り合いの映像制作の会社の人から、CM音楽を作らないか?とお声かけをいただき、デザイナーとして会社に勤めながら、音楽制作を副業として始めることになりました。
音楽で生きていけるかもしれない、という淡い期待を持った僕は、やっぱり音楽でがんばりたいという気持ちがどんどん強くなってきました。しかし、僕は当時結婚したばかりで子供も小さいので、生きていくためにはお給料が必要。なので、この段階では、音楽一本に絞るということはできませんでした。
そんな時・・
思いもかけない話がやってきた
デザイナーの大先輩でもあり、音楽仲間でもある方から、デザインの専門学校で非常勤講師をやらないか?とお声かけをいただきました。とりあえずスポットで1回という話だったのですが、好評であれば、定期的に授業を持って欲しいということでした。
その授業の中身はDTM(Desk Top Music)。パソコンで音楽を作るということを学生に教えてやってほしいとのことでした。
講師は授業の時間の関係で仕事しながらはできないので、これはタイミングだな!と思い、この話をキッカケに独立してフリーになろうと考えました。
そして意を決してフリーランスに
とりあえずの仕事は、少ないながらも音楽制作の仕事もあるし、デザイナーとしてもキャリアを積んだので、仕事を取れれば自分でまわせると考えたので、思い切って会社をやめてフリーランスになりました。
結局その授業が好評で、翌年から通年で授業を受け持つことになり、専門学校での定期収入が見込めることになりました。
音楽の仕事も地元のこどもミュージカルの音楽制作を年間を通してお受けすることになり、収入の柱を作ることができました。
こうして僕は「音楽制作を飯の種にしたい」という思いを果たすことができました。その後も、フリーランスであるが故にいろいろなお仕事をさせてもらうことになり、今に至っています。
どんな仕事をやってきたかは、また改めて綴ってみたいと思います。
大事なのは
いま振り返ってみて思うのは、やっぱり「やりたい」という強い思いを持ち続けることと、周りの人にやりたいことを伝え続け、挑戦することで、チャンスはやってくるということです。
今はネットが広がっているので、もっと可能性は広がっていると思います。
風の時代といわれるようになった現代では、個人の力を活かして生きていくというフリーランス(もしくは個人起業)という形でのワークスタイルが増えていくんじゃないかと思っています。
僕も、これからもフリーランスとして活動していくつもりなので、さらに挑戦しつづけ、やりたいことをやりながら生きていきたいと思います。
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