tabi Ichi

1987年生まれ。大学2年に観た『ザ・ビーチ』に触発され、"楽園"…

tabi Ichi

1987年生まれ。大学2年に観た『ザ・ビーチ』に触発され、"楽園"を探しにタイでバックパッカー旅をスタート。そこから旅好きに。社会で働く今も"楽園"を探す。

最近の記事

【いまはもうなき旅の記録】 8. サムイ島を出る

2007年8月12日(日) 【安住していた地を離れると恐怖が襲う。今オレはこの宿を拠り所にしてるけど、つい先日まではこの島自体が未知で恐かった。それにしても海が青い。今日はいつにも増して青く美しい。ゆっくりした時間。昼寝をする人々。この島にいくら人の手が加わっていても、この時間の流れだけは誰にも変えられない気がする。でも懐かしい。バンコクの街のあの土煙と騒音と匂いが。恐怖から逃れるため安住をするが、それはまた何かを失う生活となる。まだ見ていない新しいものを見よう。】 200

    • 【いまはもうなき旅の記録】 7. サムイ島の黄昏、パーティナイト

      2007年8月10日(金) 【おはよう。一週間経過して、体内時計がしっかりタイ仕様です。少しだけ元の生活が恋しくなってきています。今頃TSUTAYAでDVD借りて見てたんだろうな…ってそれだけか。もし日本にいたらオレは何も変われなかっただろう。この旅は始まったばかりだけど学んだものはすでにでかい。これから何が起きるのかただワクワクする。】 素晴らしい青空。起きぬけ、宿に一番近いコンビニへ行き、ペットボトルの水を買う。味比べのために毎回水のブランドを変えていると、店員の青年

      • 【いまはもうなき旅の記録】 6. ホワイト・サンズ・バンガローの日々へ

        2007年8月9日(木) サムイ島のラマーイ・ビーチ南の外れにある集落のような宿「ホワイト・サンズ・バンガロー」。 僕はここでしばらく過ごすことにした。 誰かが2009年のバンガローを撮った動画が見つかった(ありがたい)。 そう、ここだ。たしかに2007年の僕はここに存在した。 中心街から離れていて、バンガロー付近には砂浜と海しかない。 そんな贅沢な暇を手に入れた僕は、この宿にいる人々を発見するたびメモに書き留めていった。 <ホワイト・サンズ・バンガローの住人>  オー

        • 【いまはもうなき旅の記録】 5. サムイ島 着

          2007年8月7日(火) バスでの不思議な一夜を越え、僕はサムイ島へのフェリー発着場にいた。 よっぽど悲しい顔をしていたのか、近くにいたおばちゃんが温かいコーヒーを恵んでくれた。 恥ずかしいことに、この時の日記は【切ない つらい 会いたい 悲しい】の文字で埋め尽くされている。 一体どれだけ傷ついていたんだろうか、今の自分から見ればその感受性は羨ましい。 フェリーに乗ればすぐ、サムイ島に着いた。 島の景色と音は、バンコクやパタヤの騒がしさとはまるで違っていた。 柔らかな島風が

        【いまはもうなき旅の記録】 8. サムイ島を出る

          【いまはもうなき旅の記録】 4. サムイ島行きバスの不思議な夜

          2017年8月6日(月) 早朝パタヤ発のバスに乗った僕は、昼過ぎにはバンコク旧南バスターミナルに着いていた。このターミナルから出るバスが、プーケットなどの南部方面とカンチャナブリーなど西部方面行きになっている。 僕が次の目的地に選んだのは南部の「サムイ島」だった。 通常の旅行者であればサムイ島へは飛行機サクッと1時間で行くはずだが、貧しいバックパッカーにはその金が惜しく、深夜バスで15時間かけて行く方法をとる。でもその方が圧倒的に楽しそうだ。 サムイ島行きの深夜バスが来るの

          【いまはもうなき旅の記録】 4. サムイ島行きバスの不思議な夜

          【いまはもうなき旅の記録】 3. パタヤの星

          2007年8月5日(日) 【何より心配なのは資金。  このままいけば確実に底尽きる。  明日にはバンコクに戻ろう。  それとも島へ急ぐか。】 3日目にしてすでに資金難に追い込まれていた僕は、国際電話ショップ(というものがかつて存在した)で、日本の母親に半泣きで電話をかけていた。 海外送金の相談でもなく、ただ身内の日本語が聞きたかっただけだ。 【恐くて逃げ出したいができない。  もう行くしかない。  現実は映画とは違う。ここは現実だ。】 まるで人生を賭けているようなことを

          【いまはもうなき旅の記録】 3. パタヤの星

          【いまはもうなき旅の記録】 2. パタヤへ

          2007年8月4日(土) バンコク初夜の混乱を乗り越えた僕は、カオサンロードを朝早くに出て、次の"場所"へ向かっていた。明確な目的地など無い。ただ【幻のビーチに行く】という妄想だけを信じ、無邪気に歩みを進めていた。 そんな生まれたての旅人を狙う捕食者がこの町にはたくさんいる。どこからともなくバイクが現れ、ハイエナのような顔したドライバーが良い場所へ連れていってやると言う。 日本を出る時(少しでも怪しいヤツには絶対ついていかない)と固く決めていたのに、昨夜の空港で即敗北してか

          【いまはもうなき旅の記録】 2. パタヤへ

          【いまはもうなき旅の記録】 1.バンコク初夜・カオサンロード

          2007年8月3日金曜日の夜、背負い慣れない65ℓの重いバックパックと共に、僕はバンコクのドンムアン空港に降り立った。 空港から一歩外へ出るとすぐさま、日本では感じたことのない生温い夜風が肌に張り付いた。そしてその風に乗って、同じぐらい湿った"微笑み"を浮かべるタクシードライバーも付いてきた。 「タクシー?コンニチワ!タクシー!」 ものの数秒でガイドブックに書かれた<注意>そのままの人物が出現したことには驚いた。この男を拒否するという最初の関門を涼しい顔で通り抜けるには経験も

          【いまはもうなき旅の記録】 1.バンコク初夜・カオサンロード

          【いまはもうなき旅の記録】 序文

          突然、かつての旅について書きたくなった。 2007年の夏、「幻のビーチ」を求めて、タイで一ヶ月を過ごした旅。 初代iPhoneがサンフランシスコでスティーブ・ジョブズによって発表された年。まだ日本では誰も持っていなかった。Wi-FiもGoogle MapもFacebookもTwitterもInstagramもなかった。mixiはあった。 異国の町で右も左も見失い、ガイドブックのロンリープラネットをコソコソ胸元で広げ、現在地を何度も確認した。どこに行くべきなのか、どうすべきなの

          【いまはもうなき旅の記録】 序文