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【いまはもうなき旅の記録】 序文

突然、かつての旅について書きたくなった。
2007年の夏、「幻のビーチ」を求めて、タイで一ヶ月を過ごした旅。
初代iPhoneがサンフランシスコでスティーブ・ジョブズによって発表された年。まだ日本では誰も持っていなかった。Wi-FiもGoogle MapもFacebookもTwitterもInstagramもなかった。mixiはあった。
異国の町で右も左も見失い、ガイドブックのロンリープラネットをコソコソ胸元で広げ、現在地を何度も確認した。どこに行くべきなのか、どうすべきなのか、何を食べるべきなのか、インターネットはリアルタイムで教えてくれず、目の前の人が頼りだった。ただ路地を歩くだけでも、大袈裟に死を感じた。それはささやかながら壮大な冒険だった。

旅行記というのは現在進行形の形や最新情報の方がありがたがられるに違いない。まして無数の人々が現場の動画を撮ってアップしている時代だ。そもそも、旅行を記す必要性すら怪しい。
ではなぜ僕は、17年近く前の旅を今さら掘り起こそうと考えたのか。
40歳手前になり、とりあえず昔は良かったと懐古したくなったのか。現代のテクノロジーの恩恵にあえて異議を唱えたくなったのか。若者たちへの教訓譚をまとめて承認欲求を満たしたいのか。どれも違う、とは言い切れないだろう。人は歳をとると、自制が効かず恥ずかしげもない行動を取ってしまうことはよくある(本当によくある)。
ただ、おそらく僕は、こうして“いまはもうなき旅の記録”を記すことで、もう一度「あの旅に出よう」としているんだと思う。それはそのまま、あの時の自分自身との再会を意味する。かつて親しくした旧友たちと同じよ
うに、僕は"いまはもうなき僕"にまた会いたくなった。だからもう一度、今度は一緒に、旅に出ることにしたのだ。

2007年8月3日・バンコク・カオサンロード、記録はそこから始まる。

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