【いまはもうなき旅の記録】 3. パタヤの星
2007年8月5日(日)
【何より心配なのは資金。
このままいけば確実に底尽きる。
明日にはバンコクに戻ろう。
それとも島へ急ぐか。】
3日目にしてすでに資金難に追い込まれていた僕は、国際電話ショップ(というものがかつて存在した)で、日本の母親に半泣きで電話をかけていた。
海外送金の相談でもなく、ただ身内の日本語が聞きたかっただけだ。
【恐くて逃げ出したいができない。
もう行くしかない。
現実は映画とは違う。ここは現実だ。】
まるで人生を賭けているようなことを書いているが、要は「金がない」だけである。今となれば微笑ましい、でも当時の絶望といったら。この旅の計画は1ヶ月。もし資金が無くなれば、カオサンロードのボロ宿で沈没生活して時間を稼ぐ他なくなる。それでは南の島々を巡り【幻のビーチ】を発見する理想像とはあまりにギャップがありすぎる。そもそも、5万円程度しか持ってきていないのが問題なわけだけどさ。
スコールが降ってきた。ずぶ濡れのまま、ビーチの近くにあった安そうな宿に駆け込む。
ラッキー、ここは安い。安心だ。安い心、と書いて安心。なるほどだ。
昨夜の眠れなかった大きなツインベッドから、今夜は蚊帳の中のシングルにも狭いベッドに湿った布団。これだ、という気がした。これこそ望んでいた旅の形だ。
繁華街の下品さに対して、ビーチはおとなしかった。
【薄明かりが灯った砂浜の静けさと、道の向こう側から聞こえる音。
砂浜にいれば音楽は耳を邪魔するが道を越えたらもう波音は届かない。】
【パタヤの女たちは悲しい。
連れられていく横顔は寂しさの影を落としている。
そんな彼女たちをインスタントカメラの被写体にした俺もまた彼女らを買う醜い男たちと同じだ。】
現在はどうか知らないが、17年前当時のパタヤの売春街の様子はショッキングだった。それともただ、自分がまだ世を大して知らない20歳の子供だっただけか。
ちなみにこの時、"彼女たち"を被写体にしたはずの写真は真っ暗で何も映っていない。
夜が深まって街が騒ぎだすと、余計に哀しくなってきた。僕は夕食を早々に切り上げて、人も光もまばらな砂浜に座りこみ、黒い海を眺めていた。
波音は穏やかで、心をじんわり落ち着かせてくれた。
このままここで眠ってしまいそうだ。
そこへ、ふっと女性の声が入ってきた。
「Do you want Lady?」
(…きたか)
振り返ると、老女。
(You…?)
「She want to talk with you.」
(She…?)
背後のヤシの木陰、肌の白い女性の姿がぼんやり浮かんでいた。ちょっと、可愛い。それに10代のように見えた。
老女がにこやかに言った。
「She loves you. No money.」
LOVEという英単語を使われたのは、人生で初めてかもしれない。
僕は素直に嬉しかった(商売かはさて置き)。
「She is Lady Boy.」
レディーボーイとは、男性から性転換した女性を指すタイの言葉だ。
現在こそ認知と理解は広まっているが、当時はまだそれほどの状況ではなかった(少なくとも日本の平凡な大学生にとっては)。
急なお誘いに戸惑った僕は、殻を探すヤドカリのようにそそくさと砂浜を後にした。彼女の顔を見返すことはできなかった。
宿に戻り、布団の中、もんもんとした。
彼女のイメージが、さっきよりも生々しく卑猥に浮かび上がってきた。
可愛かったな…逃げなければよかった…
眠りにつけず、宿の隣のパブに入った。
パブではファランたちがTVでサッカー観戦をして盛り上がっていた。
男の横には漏れなく現地の女性らがついていた。Lady Boyの姿もあった。
今夜の恋人とはしゃぐ彼女らは、とても楽しそうで素直な笑顔をしていた。
【もしかしたら、みんな普通の子なのかもね。
サッカー観戦を見て思った。】
彼女たちを悲しく、男たちを醜く見ていたのは、僕の高慢だったのかもしれない。なにもかも、そうあるならそれが「普通」なのだ。
23時になるとパブは突然閉店し、狙っていたアイスを食べ損ねた。
宿前の道で空を見上げると、向こうで星がチラチラしていた。
【明日、2日間過ごしたパタヤを出る。
好きでもあり嫌いでもあったこの街。
もう2度と来ることがない場所と出会うことがない人。
なんだかんだ愛しかったなパタヤ。
忘れないよみんな(誰ってわけでなく)】
パタヤはこの旅で最初に「出会い」と「別れ」を感じた場所になった。
この後、それはひたすら繰り返されることになる。
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