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対話の時代:コロナの時期を経て

新型コロナの影響で気軽に人とあって喋ったり、楽しんだりする自由が制限される生活になって1年以上が経ちました。たしかに話をするだけならばzoomでも出来るのですが、オンラインだと満たされない何かがある気がして「対話・ダイアローグ」関係の本を複数冊よみました。

中でも東京大学の中原教授と法政大学の長岡教授によるこの本は、対話の場を職場や仕事にわりと限定しているのでイメージがしやすく読みやすかったです。(デヴィッド・ボーム氏の「ダイアローグ」も良かったですが哲学書的で思考エネルギーを使うため、多くの人にはやや勧めにくい本でした。)

職場で飲み会をやったから絆が深まるわけではなく、絆を本当に深めようと思ったら個々が安心して自分の意見を話し、相手の意見を聞けるような「対話」の習慣が必要だ、という話。高度経済成長時代は飲み会があったから絆があったのではなく、働けば生活が豊かになるという共通感覚があったことがその理由、という視点はややドライですが妙に納得しました。

オンラインでのミーティングって過去から知っている人だと、相手は自分の話をわかってくれるとか、安心して話しを聞いてくれる、という安心感があるけど、オンラインではじめましての人とはどうしてもその感覚を埋められないところに気持ち悪さがあります。たぶんそういう安心感には言葉だけではない、空間を共有し五感を使って相手と向き合った上での動物的な安心感が必要なんでしょうね。時間と場を共有することのほうが、対話することよりも多くの意味をもつ感じ。

あ、でも先日オンラインとオフラインハイブリッドで授業をさせてもらったんですが・・そこでは画面越しにも不思議な一体感があったんですよね。それって現場での親密感がこちらに伝わってきたのかなぁ・・とも。

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また、ひとつの物事に対しての見方の違いを、ワインのボトルをみて「半分もある」と思うか「半分しかない」と思うのか、の差というエピソードはわかりやすいと思いました。この意味づけが共有できないと協調的な行動がとれないというのも納得。情報やデータは「意味」を付加しないいと未来が方向づけられない、という指摘ももっともだと。

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ダイアローグ 対話する組織(2009年、ダイヤモンド社、中原淳&長岡健)


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