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父の他界と不思議体験

昨年の11月、父が他界しました。体の衰えはあったものの、ちょっとした事故的な要素もあり、突然の死でした。そんなわけで、去年の暮から年明けくらいまで、私はだいぶ忙しく過ごしていました。

今回、まずここで書いておきたいのは、父の四十九日の数日前から、母に起こった不可思議な出来事です。

母は、だいぶ耳が遠くなってしまっており、今は補聴器をしながら生活をしています。

そんな母が、四十九日の前日、私に向かって「また盆踊りが聞こえる」と言い始めました。私には、何のことだかさっぱり分かりません。当たり前のことですが、こんな時期に盆踊りなんてやっていないので、そのような音が聞こえるはずもないのです。

母の話をよく聞いてみると、四十九日の数日前から、盆踊りの音がうるさくて、近所迷惑を心配し始めたそうです。それは夜中に聞こえることもあり、わざわざ窓を開けて、「こんな夜中に盆踊りなんてして、近所から苦情が出るんじゃないかしら?」と心配になったといいます。

この母の話を聞いて、私はピンときました

これは父だな・・・」

は、盆踊りが大好きでした。だから、父が挨拶にやって来たと思ったのです。生前、よく喧嘩もする夫婦でしたが、結局のところ、そうやって母の傍に来たんじゃない?といった感じです。

その話をにしたところ、大層満足そうでした。元々、その盆踊りの音が怖かったわけではないものの、それが父からのメッセージだと思えた瞬間から、その音が聞こえることが、とても喜ばしく思えるようになったそうです。

で、その話をし終わったら、今度は、その音がお経に変わったと言い始めました。まったくワケが分かりません・・・。

何にせよ、不思議な話というのはあるものです。


ところで先日、たまたま聴覚の専門の先生とお会いする機会があり、母のこの不思議体験について話をしてみました。すると、そこは専門家の先生らしく、次のようなお答えが返ってきました。

それは耳鳴りでしょう。耳鳴りを、自分の経験と照らし合わせて、知っているものに変えているんだと思います」とのことです。

まー、そういうことでもいいのです。ただ念のため、母・本人に(まさに件の盆踊りの音が聞こえているときに)その分析結果を伝えてみると、「耳鳴りなんかじゃない!ハッキリと盆踊りの音なのよ!」と全否定でした。

私は、科学(医学)だけでは紐解けない世界があると思っています。

母がどんなに「耳鳴りじゃない!」と否定しても、それは母にしか分からないものです。科学的に「盆踊りの音が聞こえるなんてありえない」という前提を置いてしまったら、母に起こった現象は、「ただの耳鳴りが盆踊りに聞こえるだけ」という分析になってしまうのでしょう。

でも、それはちょっともったいないかもしれません。

ということで、この世界は魔法のような奇跡が、簡単にポンポンと起こるようにはできていないのです。少し残念に思われるかもしれません。しかし、そういう部分にこそ、この世界(宇宙)の美しさがあるのではないかと思います。

「この美しい「4次元世界」」より引用

たしかに、この宇宙では、そうした不思議体験みたいなことが頻発していません。そのような不可思議な出来事は、ほぼ起こらないのです。

そのことによって、この宇宙は美しく保たれているとも言えます。しかし、逆の言い方をすると、そういう不思議なことが、ほとんど起こらないが故に、いわゆる科学が、(患者本人の訴えを無視してしまうほど)過度に幅を利かせてしまっている可能性があるわけです。

だからこそ、そういう不思議な世界を包括して、この宇宙を理解するためには、宗教のようなものをツールとして使うことには意味があります。

ちょっとした退屈だからするゲームなんですよ。それを理解すればパッと人生明るくなるんです。
人生は苦である」と、「空しいものである」と。それを理解するたびに、人間は幸福が見つかるんです。
皆様方、天国に行って、或いは極楽浄土に行って幸福になると思っているでしょう?そこ、おかしいんですよ。
今、人生一生苦しんで、一生馬鹿をして、死ぬときも馬鹿をみるだけであって、極楽には行きません。今もダメな人は、どうやって次良くなるんですかね?

こちらの動画とても興味深いです。父が他界したこともあり、ここであらためて、この宇宙で生きるということには、どういう意味があるのかについて着目してみます。

この動画のなかでは、「人生は苦である」、「人生は明るくなる」という相矛盾した言葉が出てきます。「何言ってんだコイツ?」と思われるかもしれません。でも、これは本当にその通りです。

人生が苦しいということは、そんな悟りを得るための苦行や難行のような素材が、ゴロゴロ転がっているということです。何もお寺に行って、苦行・難行をする必要はないということでもあります。
日常生活の中に転がっている苦しみと向き合い、そのなかで大切なものとは何か?を自問自答し続ければ、お寺の苦行や難行と同じような効果が得られるのではないかということです。

「生きてるだけで是修行也」より引用

物事は、常に表裏一体です。

苦を知りて楽を知る楽を知りて苦を知る・・・これらはセットなのです。

人生を明るく過ごすということは、人生がただのゲームであるというくらい、いかに空しいものであるかを知ることと同義なわけです。相矛盾するようなものがあったとき、それはただの矛盾を意味するのではなく、同時に存在するということを知る必要があります。それが、この宇宙を深く理解することに繋がるのです。

別の言い方をすれば、力強く生きるということは、強く死を覚悟するということでもあるわけです。

こうした視点は、これから先、生きるのが難しいと思われがちな世界を生き抜いていくためには、とても重要になってくるのではないかと思います。

生きるのが難しい?物価高?悪政?超管理社会?疫病?売国?

何でもいいです。しかし、何が起ころうとも、きちんと備えている人たち、次の時代に合った生活スタイルにシフトしてきている人たちにとっては、むしろ住みやすい社会になっていくことでしょう。

本物しか残りません

したがって、どんな大変にみえる世界になるとしても、何も心配する必要はないのです。むしろ、楽しみな世界になっていくはずです。

宇宙の真理を理解し、物事の二面性を見つめ続けることができれば、怖れるものはありません


今回、残念なことに、父は他界しました。既にこの宇宙には存在しません

けれども、父は他界したがゆえに、このあたりの宇宙の真理や、この宇宙で生きることの意味などを、完璧に理解したのではないかと思います。文字通り、仏様です。

そんな仏様になった父は、これから先、私たちを見守ってくれることでしょう。ますます、私たちは大丈夫になっていきます。

母に聞こえていた盆踊りの音は、そんな自信を私にくれるのでした。


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