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持続可能な生活スタイル

サル痘が大変なことになっている?コロナが感染爆発してる?で、極めつけが食料品の高騰ですか?

数字だけ見れば、日本の物価高騰は、まだそれほどではないのかもしれない。だが、そもそも日本の平均賃金(2021年)は米国の約2分の1、英国の約8割にしかならず、水をあけられている。また、日本の食料自給率(2018年、カロリーベース)は37%と、米国(132%)や英国(65%)に比べて低く、輸入食品への依存度が高いところに、1ドル=140円台をうかがう約20年ぶりの円安水準を考えると、窮状は深刻度合いを強めている
値上げをしなければと思いつつ、客離れを恐れてなかなか値上げに踏み切れない店も多いと聞く。専門家も「戦争による食料価格高騰の影響は今年10月から本格化」という。わたしたちも来るべき食料不安に備えておくべきかもしれない。

おやおや・・・大変そうですね。

こちらの記事のメディア名は、SDGs ACTION!だそうです。持続可能な社会を実現しようなどと言っている割には、足元、食料確保すらままらない状態って、いったい何なんでしょう。

地球がどうちゃら言う前に、まずは自分たちの生活がきちんと持続可能な状態にできるよう、しっかりと足元を固める必要があるのではないでしょうか。自分たちの生活もきちんと固められないまま、「持続可能な開発」って、ちょっと可笑しいからやめましょうよ。

現代、SDGs、SDGs騒いでる人たち、いや縄文人見習えって話かもしれないよね。
これが本当の持続可能な開発っていう・・・世界が農耕、農耕ってやってる間に、その文明観から外れたかたちで生きていたのが縄文人だと。
しかも世界四大文明の築かれた地域、今、どうなってます?枯れ果ててますよね。元々、乾燥地帯に流れる大河に住み着いたという話もあるんですけど、それ以外だと農耕でドンドン収穫を増やしていった結果、土地の栄養分を吸い過ぎ、人工的に荒れ果てた地にしてしまったという説があるんです。要は自然破壊ですよね。

本当に持続可能な社会を目指すのであれば、自分たちの身の回りの暮らしを今一度見直し、できるところからで構わないので、あらためて持続可能な状態にしていく必要があるように思います。

上掲動画にある、自然を取り込んだ縄文人の暮らしは、これからの私たちにとって、とても参考にすべき点がたくさんあるのではないかという気がしてなりません。

当然、食料については、少しでも自分たちで作るための努力をしていくべきでしょう。また、そうした農業を進めていくうえでは、なるべく自然の力を活かす方法を考えたいところです。

自家採種した種から、農薬や化成肥料を使わず、自然の力で作物を育てることができるようになれば、それこそ持続可能な農業と言えるでしょう。自分たち自身が、自然と協調しながら持続可能な生活を送ることによって、最終的に地球全体をも含めて、人類全体として持続可能な開発ができるようになるのではないかと思います。

農業を生業とした農家の方々が、生産性を高めるために、除草剤を使うのはやむを得ないことだと思います。しかし、個々人が、持続可能な生活スタイルを築いていこうというのであれば、雑草に対する考え方も、改める必要があるかもしれません。

草との向き合い方なんですけれども、僕たちはこの草を資源として活用してます。草生栽培といって、草と一緒に果樹とか野菜を育てていくっていうことをするためには、やっぱりこういったものは資源になるんですね。
循環、生物の循環とかを支えに、果樹とか野菜を作るというふうになると、やっぱりこういった草も、大事な微生物たちの活動をするためのモノ・資材になってきたりします。

そう、雑草だって自然の一部です。生やさなくするよりも、敢えて生やして、それを資材として使えば、畑のなかの微生物が活性化して、元気のある土になっていくのではないでしょうか・・・?うん、素人なので、ハッキリしたことは言えませんが、でもきっとそういうことです。

この日、雑草だらけで、そのなかにダイズが埋もれてしまっていました

それらの雑草を刈ってあげることで、ダイズは救出されました。

いや、ダイズを救出してあげただけではありません。刈った雑草は、土の養分だけでなく、太陽から浴びたエネルギーを自分のなかに取り込んで、ここまで大きくなったのです。そのエネルギーが、こうすることで土に還元されていくわけです。雑草が生えていなかったときよりも、土は豊かになったことでしょう

うーん、自然って素晴らしい・・・。

難しいことガチャガチャ言って、訳の分からない理屈こねくり回されて、持続可能な社会にしよう!SDGsだー!なんて・・・正気ですか?

もっと身近でやるべきことが、意外とたくさんあるのではないかと思います。

一概に、良い・悪い言えるものではありません
しかし、このような指摘から考えられるのは、サラリーマンという存在が、社会の仕組みにどっぷりはまっている人たちとみることができるのであり、国家による締めつけにより行き場を失いやすい、弱い立場かもしれないということです。
単純に自営で農業、しかも循環型農業を営んでいるとしたら、その生産に関わる要素は、それほど複雑ではありません。目の前の畑で、どれだけ作物をとれるか、それで収入が決まるわけです。

「少しずつ自立を考えてみる」より引用

持続可能などと言うからには、地球どうこう言うようなフワフワした話をする前に、まずは自分自身が持続可能な生活スタイルになっているのか?地に足つけて、よくよく考えてみてはどうでしょう


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