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やるとなったらやりましょう

最近は、常々、日本国民をやめたいと思っています。なんなら、何かにつけて国民をやめる理由やきっかけを探しているくらいです。

ことあるごとに税金をせびりにくるし、その集めた税金は、訳の分からない人たちに配りまくるし、私にとって、国家の存在意義はゼロどころか、ネガティブな側面ばかりが目立つようになってきています。

正直、国家との間にあった信頼関係が崩れたのだから、その関係を断ち切りたいと思うのは、当然のことです。

今の為政者たちが、人が集まりさえすれば、自動的に国家が成立するなどと考えているとしたら、それは大きな間違いです。何だかんだいいながら、国家が成立するためには、人々からの信用がなければなりません。信頼関係があるからこそ、国家が成立する点、忘れるべきではないのです。

信頼関係が失われたままの状態で、このようなものが通ったらどうなるでしょう・・・。

正直、分かりません(笑)。でも、ちょっと見ものだと思っています。

少なくとも、私は縛られません。そして、そう考える人は、私だけではないと思います。

日本国政府が、私たちの生活を守るために存在しないことに気付いた人々はたくさんいます。そして、政府の言うとおりにしていたら、私たちの命が危険に晒されるということを知ってしまった人は大勢いるのです。


例えば、私の場合、家と田んぼの間を行ったり来たりしています。県境も越えなければなりません。それは、私自身が生きるための行動です。

それなのに、仮に緊急事態条項を根拠にして、政府がそれを制限すると言ってきたって、どうしようもありません。どうしたって、聞き入れることができないのです。それが許されなくなったら、私は生きていられなくなるのですから、文字通り、生きるか死ぬかの戦争になるでしょう。

国家が移動を制限する?知ったこっちゃありません

もし、私の行動が、国が定める法に違反するというのなら、私を捕まえてみればいいし、(大してありもしない)財産を取り上げてみればいいと思っています。でも、こっちは日本国民をやめる覚悟でいます。何があるとしても、私は行動を諦めません

冒頭に申し述べた、日本国民をやめるいいきっかけができたくらいにしか思わないでしょう。もちろん、命懸けです。「面白い、やりましょうよ」ってだけのことです。

強制力をもって仕掛けてくる?うん、それでいいです。やりましょう。

ただし、これは私一人の問題ではありません

そのとき、政府が相手にしなければいけないのは、私だけではないはずです。私同様、そんな政府のいうことを聞いていたら、自分の生活や命が守れないと考える人々が大勢いるのです。政府は、そういう人たちに対しても、同じように対処しなければいけなくなります

数十人、数百人ではないでしょう。数千人、数万人、数十万人、数百万人、数千万人・・・信用を失った国家が相手にしなければいけない人の数は、そういう単位になっていくと思われます。

警察?自衛隊?

そうです。そのときは、そうした国家機構が保持する武力が、どれだけ多くの国民の生活や命を脅かすことに使われるのかをみていく必要があります。

私個人としては、警察や自衛隊のような存在が、政府の言うがままに動いて、国民を弾圧するような現象が起こるのか、見届けてみたいという気持ちもあります。

日本人は、日本国政府の下にいるから日本人なのではありません。政府があろうがなかろうが、私たちは日本人だし、その日本人の特性上、そういう弾圧は起きないのではないか?というのが、私の仮説でもあり、検証してみたいテーマでもあります。

そんなわけで、緊急事態条項をめぐる議論があるたびに、私個人としては、信用を失った国家の行く末について、ますます見届けてみたいという気持ちが高まってきます


念のためですが、一応、これまでの日本国政府には感謝しています。今日の日本国政府に限らず、日本という国自体に対しても、その歴史も含めて、今の自分を育ててくれたことなど、感謝しかありません

でも、いつまでも、その日本という国にお世話になっているわけにはいきません。今まで続いてきた日本という国は、そろそろ役目を終える時期が迫って来たのではないかと思えてならないのです。


憲法改正の問題など、私個人でどうすることもできません。私にできることといったら、これまでの私を育んでくれた国家と自分との関係を整理して、(覚悟をもって)気持ちを切り替えていくことくらいです。

まぁ、何か結論が出るのであれば、それはそれとして、こちらはそれを待ってみたいと思います。・・・で、やるとなったら、やりましょう


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