「信用」を育みながら生きていきたい
今、田んぼを2反借りています。
田んぼをお借りするにあたっては、昨年、「営農計画書」というのを作成して、役場に提出したりもしました。
よそ者に田んぼを貸すにしても、「ちゃんとできるの?」という疑問があります。そこで、借りる側としては、それなりに「できます!」というのをかたちにして、役場に報告するのです。
それが認められて、今年は無事、野菜やおコメを作ることができているわけですが、その契約のなかで、一部、一年契約にしていたところがあったため、その契約を延長すべく、久しぶりに役場に行ってきました。
担当の方にお会いしたら、ずいぶんと表情が明るかったように感じました。
去年の段階では、半信半疑だったのかもしれません。
「どこの馬の骨とも分からん奴が、田畑を借りたいって言ってきたぞ?」
そう思っていたかは分かりませんが、そう思われてもおかしくない状況でした。私自身も、やる気だけはあるものの、本当にどこまでできるかは、やってみないと分からないという状態でもありました。
しかし、フタを開けてみたら、周りの皆さんのおかげもあって、かなりしっかりできたので、役場の方も、安心されたのかもしれません。
「いやぁ、田んぼも畑もみました。立派にやっていただきましたね。」
「耕作放棄地になりそうなところだったので、すごく助かりましたよ。」
そんな声をかけていただきました。
今シーズン、いろいろありましたが、真面目にやってきてよかったと思える瞬間でもありました。
話も弾み、今後のこととして、さらに田んぼを広げる場合の相談なんかもしてきました。現段階では、まだまだ現実的ではないかもしれません。しかし、これから先、徐々に「田んぼをやりたい」という人が出てきたら、すぐにでも紹介できるように、私なりに情報を集めておきたいと思ったのです。
この話になった時、役場の方の表情は、より一層、明るくなりました。
「いやぁ、使っていただけるなら、是非、お願いします。」
あきらかに、去年とは表情が違いました。
小さなことかもしれませんが、私にとっては、とても重要で、大きな変化でした。そこには、ひとつの「信用」が生まれ始めているように感じたからです。
私、そういうのは、とても大事だと思うであります。
「信用」などというのは、目に見えないものです。しかし、何かをしようと思うとき、とてつもない力を発揮してくれるものです。お金で、買えるものでもありません。
この一年、野菜やおコメを一所懸命育ててきました。そのことを通じて、私に対する「信用」を生み出すことができたと思うと、あらためて自分がやってきたことの正しさを実感します。
翻って、世の中を見渡してみると、ボロボロです。
「信用」というのは、長い時間をかけて徐々に作られていくものである一方、あっという間に失われるものでもあります。
政府?あんなものの「信用」は、とっくに消え失せました。そんなのを信用してたら、命がいくつあっても足りません。
こんな状況になって、ようやく「ワクチン、やっぱり何かおかしいな?」と気づかれた方は、まだ間に合うかもしれません。いや、もう間に合わないかもしれません。それくらいギリギリだと思います。
何も疑問に思われない方・・・私の方から、とくにコメントはありません。
私から言えることは、とにかく、今の(政府などを含めた)世の中の仕組みは、とてもではないですが、信用に足るものではないということです。
失政なんかじゃないです。故意です。
うん?そんなわけない?はい、そう思われる方は、それでいきましょう。
まぁ、今の私にとっては、政府の「信用」なんて、もうどうでもいいことでもあります。相手してられません。
そんなことよりも、今の私にとっては、他人様からの「信用」の方が大事です。自分自身、皆さんから信用されるような生き方をしていきたいですし、誠実・真面目に生きていくことの方が、より重要だと思っています。
そして、そうすることによって、私と接する皆さんが、明るくなってくれるのなら、そんなに嬉しいことはありません。そんなことを通じて、きっと私も、私の周りにいる人たちの人生も好転していくような気がするのです。
真面目にやっていたら、きっといいことあります。正直者がバカをみるなんてのは、昔の話だと思います。
それぞれ、自分が信じた道をいけたらいいですね。
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