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国家の前に個人あり

周知のとおり、コロナ禍が全力で煽られています

東京都内で4日までに、オミクロン株の感染が確認された55人のうち、およそ7割は、ワクチンを2回以上接種していた人で、都は「接種を済ませていても油断せず、対策を徹底してほしい」と呼びかけています。

NHK「東京都 オミクロン株感染者 約7割はワクチン2回接種済み」
2022年1月5日より引用

オミクロン株に感染した人のうち、7割が2回接種を済ませた人たちだと言います。このニュースをどう読み解くかですが、ワクチンを信じている人たちは「ワクチンの効果が切れてしまった。3回目がワクチンが必要」と思うのでしょうし、ワクチンを信じていない人たちは「結局、ワクチンなんて効いていない」と考えるのでしょう。

いろんな情報があるので、もうそれぞれがなにを信じるか?という問題になりつつあります。

私は後者ですが、ワクチンを信じる前者の人々は、何の疑いもなく3回目の接種を行うのでしょう。

ともあれ、こんな感じで煽りに煽られているコロナ禍に連動して、憲法改正論議も活発化しそうな情勢になってきています。

 自民党は来年1月召集の通常国会で、国会議員任期の特例延長など緊急事態条項の創設を軸に改憲議論を進展させたい考えだ。新型コロナウイルス禍を踏まえて、世論の理解が得られやすいと判断しているためだ。10月の衆院選で、憲法改正に前向きな日本維新の会と国民民主党が議席を増やしたことも追い風とみている。

時事ドットコムニュース
「改憲勢力に勢い 緊急事態条項で進展目指す―立民苦慮、狭まる包囲網」
2021年12月31日より引用

憲法改正や緊急事態条項に関する問題の深刻性については、既に別の記事でも取り上げています。

緊急事態条項を伴う憲法改正があれば、行政(内閣)の一存で、いろいろなことができてしまうようになります。営業停止、ワクチン接種、移動制限、会食禁止・・・などなどなど、いろいろなことが強制させることが可能になりえます。今の状況を考えれば、緊急事態条項に基づいた政令は、乱発されることになるでしょう。

「今の為政者には力を渡すな」より引用

コロナ禍などといった茶番にかこつけた憲法改正で、これまで保障されてきた個人の自由に対して、簡単に制限がかけられる可能性があります。これは非常に重大な問題です。

仮に、これが通ってしまったら、「新型コロナウイルス」という目に見えない(演出された)脅威を利用して、国家が個人の自由を奪い、さらには国民を国家に従属させることに繋がります。要は、個人よりも国家を優先した全体主義です。これを経済的な観点からとらえれば、共産主義ということになっていきます。

個人の自由を奪っていけば、当然、国民は自由な経済活動を制限されます。収入も大きく減ることが考えられるでしょう。そうなると、それを国家に補填してもらわなければなりません。一方で、国家の方針に従わず、自由な経済活動を続けようとする人々には、罰金を科したり、財産を没収するようになるかもしれません。

このようにして、国家が国民の経済活動に大きく介入し、その収奪を行うようになれば、それは全体主義であり、共産主義国家ということになっていくわけです。

コレ・・・私、認めません。仮にそんなことになったら、私は国家と戦争状態に入ってしまうかもしれません(笑)。

戦争といっても、もちろんドンパチをするわけではありません。ドンパチなんてできるわけがないです。

けれども、これに服従することは無理です。仮に、この茶番にかこつけた憲法改正が実現し、緊急事態条項の設置がされたとしても、私は私のやるべきことを進めます。

それが憲法の下、実施される国家の政策に違反するということになるのであれば、私は不服従をもってこれに対抗し、徹底抗戦せざるを得ないかもしれません。
徹底抗戦といっても、その実、私はただ自由に動き回るというだけですが・・・(苦笑)。

これから先、私は生き残るために農業を始めようと思っています。これを止めるわけにはいきません。それと同時に、都内での仕事も大切です。これは私が生きていくために必要なことです。

例えば仮に、緊急事態条項に基づいて、県境の移動の制限がかけられるとしたら、それは私の生きるための道が閉ざされることにもなりかねません。それは受忍しかねます

私にも「越えてはならない線」というものがあります。レッドラインというやつです。

こちらの記事で、「マスク程度はしてやる」と書きました。

マスクを外すべきという人もいますが、私はその程度のことなら、してやってもいいと思っています。バカバカしいと思っていても、それが受忍できる範囲のものであれば、それを文句を言わずに従うことくらいできます

しかし、憲法改正による個人の自由に対する制限は違います。私のレッドラインを越えてきます。生き残るための行動を制限されるのは、私にとっては死活問題です。従えません。

国家は、国民(個人)の上にあって、その生活を営む上でのルール作りをしています。法治国家というのは、まさにそうしたルール(法律)によって、成り立っている国家のことを指すのであり、言うまでもなく日本はその形態をとっています。

しかし、正確に言えば、国民(個人)は国家に従属しているわけではありません

以前、ほかの記事でも転用させていただいた動画を、あらためて貼っておきます。

銀河英雄伝説に出てくる「魔術師ヤン」が、国家と個人の関係性について、語っています。

国家の構成要員として個人が存在するのではなく、主体的な個人が集まってできる社会の一つの方便として国家がある以上、どちらが「主」で、どちらが「従」であるか、民主社会にとっては「自明の理」でしょう。

そう、むしろ逆です。個人が集まって、その集まった結果として国家があるだけです。そこに主従関係があるとしたら、どちらが「主」で、どちらが「従」であるかは言うまでもありません。個人が「主」に決まっています。

そうした主従関係を踏まえたとき、国家が、個人が生きるために必要な自由の権利を奪うなどということは、あってはなりません。ましてや、その大義名分が「あの茶番」だなんて、もってのほかです。

国家の前に個人あり。

できれば、穏便にいきたいものです。ことを荒立てたくはありません

レッドライン手前までであれば、踊ってやり過ごすこともできると思います。

しかし、最後の最後、レッドラインを越えてくるのであれば、戦う覚悟も必要です。一応、そのつもりで、今後の情勢を見守っていきたいと思います。


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