見出し画像

人類の発展は終着点へ?

野球少年だった私。中学生くらいの時、ファミスタなんかに興じていました。

十字ボタンと送球を同時に押すと、速い球が投げられるのです。うん、かなり楽しかったです。

そんな中学時代、究極の野球ゲームというのは、どんなものかを考えたことがありました。その時イメージしたのが、プロ野球中継のような感覚で遊べる野球ゲームでした。当時では考えられません。でも今、もうできるようになりましたよね?

すごいものだと思います。人類の進歩は、凄まじいところまできているのではないでしょうか。

ちょっと話は逸れますが、これだけコンピューターが発達してくると、人間の肉体や魂に対する理解も、だいぶしやすくなったのではないかと思います。

例えば、人間が生きている仕組みを、次のように考えることが可能です。

肉体=ハードウェア
魂=ソフトウェア
精神=電力(エネルギー)

コンピューターのハードウェア(肉体)は目に見えるものであり、そのスペックは物理的にも確認できます。しかし、ハードウェア(肉体)は、それ単体で動くわけではなく、それを動かすためにはソフトウェア(魂)や電力(精神)が必要になります。

そのソフトウェア(魂)や電力(精神)は、ハードウェア(肉体)と違って、目に見えるものではありません。とくにソフトウェア(魂)は、ハードウェア(肉体)をどのように動かすかを司っており、見方によっては、ハードウェア(肉体)の上位にあるともいえます。コンピューターをどう扱うかは、ソフトウェア(魂)次第なのです。

さらにここに、インターネットやクラウドのような概念まで加わってくると、集合的無意識や「神」のようなものまで、たとえ話で表現できます。

「なるほど、人間はそうやって生きているのか

コンピューターの仕組みを例にとりながら、こんな納得感が得られたりするわけです。

ソフトウェアやインターネットなど、目にはみえないながらも、その存在が確認できるものが、こんな身近にあるわけですから、目に見えない魂の存在も、認めやすい時代になったのではないかと思ったりするのです。


さておき、そんな大変な発展を遂げるようになった人類ですが、ここまでくると、この世界全体がコンピューターによって作られたシミュレーションゲームのようなものであるという「シミュレーション仮説」まで、現実味を帯びてくるようになります。

私たちは創造主ではなく、創造された産物ではないか?つまり、「私たちが生きている世界は、高度な文明をもつ宇宙人によってシミュレートされた世界ではないか?」というのが「シミュレーション仮説」です。

Gigazine
「現実世界はシミュレーションに過ぎないという「シミュレーション仮説」とは?」
2017年9月22日より引用

この世界(宇宙全体)が、コンピューターによるシミュレーション???

何やらおかしな話に聞こえるかもしれません。しかし、割と大真面目に議論されたりしています。実際、うちのPCでだって、これくらいはできるのです。

シティーズスカイラインというゲームです。数万人規模の街が作れます。

私もこのゲームで、いくつか都市を作ったことがあります。このゲームのすごいところは、ゲーム内にいる一人一人に人生があるところです。家を作って、職場があって、そこに通って・・・最後は死んでいくみたいなストーリーが集まって、ゲーム内の街が動いていきます。まさにシミュレーションの中に人が生きているわけです。

一方で、こんな反論も出てきています。

最初、研究者らは金属内で起こる量子現象を正確にモデル化すると、シミュレーションが極めて複雑になることに気付いたという。そして、粒子の数が増えれば増えるほど、シミュレーションも指数関数的に複雑になっていき、その数が十分に多くなると物理的に計算が不可能になるというのだ。

TOCANA
「「この世は仮想現実ではない」オックスフォード大が“シミュレーション仮説”を完全論破! 研究者「全宇宙レベルで絶対無理!」」
2017年10月4日より引用

たしかに、宇宙全体を完全にシミュレートするなんて大変なことです。物理的に計算が不可能だといいます。分からないでもありません。

しかし、だからこそ、敢えて全部を計算せずに、シミュレートできるような仕組みにしてあるとも言えるのです。

私たちが住むこの世界が、シミュレーションではないとする先ほどの論文も、LODという考え方を導入すれば、簡単に反論できてしまいます。
LODとはLevel of Detail。つまり、目に入る大きさによって、細かさを変化させる手法です。LODは、テレビゲームから生まれた方法論で、遠くにある建物や人などのオブジェクトを少しずつ単純化して、全体の処理が大きくなり過ぎないように一定の保つといった方法です。

つまり、宇宙全部を素粒子レベルに至るまでシミュレートしておく必要はないのです。そのことも、テレビゲームから生まれた技術によって、説得力のある説明がなされます。

そんな説明ができるくらい、人類の発展は行きつくところまで行きついたと言っていいのではないでしょうか。

で・・・思うのです。人類の未来、そんなに長くないのではないでしょうかね?

行きつくところまで、行きついています。

科学や技術などというのは、所詮道具です。ここまで発達した科学・技術を獲得した人類が、この遠からぬ将来において、コレをどのように使うかで、自らの命運を決められるようなところまで来たと思うのです。

おそらく道は二つに分かれるのでしょう。そして、今の人類はいなくなるというシナリオ、十分にありうるのではないかと思います。

2039年、人類は支配者層と被支配者層に分かれて、一方は超人的な能力を持つ「神人」となり、もう一方は機械的な反応しか示さない「ロボット人間」になるというものです。

「「神人」ってなんだべさ?」より引用

でも、もう答えは見えている気がします。

答えが見えているのであれば、あとは進むべき方向に足を運ぶのみです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?