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No,184.自分の世界『アルフレッド・アドラー「ライフスタイル-自己と世界の意味づけ-」
はじめに
ひとは同じものを見ても、受け取り方や感じ方が違ったりする。意識的に感じている人もいれば、まったく感じない人もいるとは思いますが、私は前者なのでいつも考えてしまいます。
そのことについて、アドラーの本を参考に書いてみます。
アルフレッド・アドラー
心理学を知らない人でも、フロイトやユングは聞いたことがあると思います。欧米では今もフロイト、ユングと並び言及されるアルフレッド・アドラー(1870~1937)。
日本では、「嫌われる勇気」が多くの方に読まれたことで有名になりました。
人は同じものを見てもても受け取り方や感じ方が違ったりすることについて
同じ家族の子どもたちは同じ環境の中で生活しますよね。しかし、それぞれ性格などは違っています(もちろん共通する部分はありますが)。その理由は、それぞれの子どもの受け取り方(認知方法)が違うからだと言える。
つまり、精神的な状況は独自なものであり、他の子どもの状況とは違っている。
その理由について、アドラーは「ライフスタイル-自己と世界の意味づけ-」と述べている。
誰もが同じ世界に生きているのではなく、客観的な世界をありのまま見ているわけではない。親からすれば、どの子も同じように育てたつもりであっても、子どもにとっては、親の自分に向ける注目、関心、愛が他の子どもと同じとは思えないということがある。同じ家庭に生まれ育っても、違う世界の中に生きていると言っていいくらいだ。
日常的なことを例にすると、かねてから好意を抱いている人がいて、二人になれる機会があれば話してみたいと思っていたところ、今まさにその人が向こうからこちらにやってきたとする。
思い切って声をかけようとしたところ、その人が目を逸(そ)らしたとします。
① 私は避けられた、私のことが嫌いだから目をそらしたのだ。
※避けられたと見る人は、自分について低い評価をしている可能性があります。
② 目にゴミが入ったから?という人もあれば、私に好意があるので、恥ずかしかったから目をそらしたんだろう。
このように、同じ事象であっても受け取り方だ全く違ってくる。
アドラーはその違いについて
① すれ違いざまに相手は目を逸らしたと思う人は、そのように思う自分のことが嫌だと思うかもしれないが、避けられたと思えば、それ以上はその人との関係は進まない。むしろ、そのことをどこか望んでいるところがある。
② その人が目を逸らしたのは、私に気があるからだと思うと、「次」が待っている。その「次」の現実は未知のものであり、その時、何が起こるか、予想はつかない。
① のように認識すれば、この先予想もつかないことよりも、今のままの自分でいようとする(現状維持)。これは後ろ向きな認知だと言える。今からもこれからも何も変わらない。
しかし、②のように認知すれば「次」のステージにいける可能性はあるが(次に会った時には声をかけよう)、その現実を受け入れれば、対人関係の中に入っていかなければならない。そのような現実を引き受けるのは勇気がいるだろう。
どちらを選ぶかはあなた次第ですが
まさに嫌われる勇気ってことですね。
最後まで読んでいただきありがとうございます( *´艸`)
引用文献
岸見一郎(2010)『アドラー人生を生き抜く心理学』日本放送出版協会
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