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霧たちのぼる山奥、図書館の思い出

感染症対策による規制の緩和により、後期になってようやく自由に大学図書館に入れるようになった。

水を打ったような館内、木立に見える本棚、土ともまた違う古い紙の匂い。
いつも霧のたちのぼる山奥を連想する。

この場所は、私の人生からは切り離せない場所。
久々の空間に心が踊ってしまう。

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小学校にある図書室の本の並びを、今でもありありと思い出すことができる。

貸し出しカウンターに近い入口から入って、左に伝記、壁を伝っていけば自然科学、一番奥に児童書。手前には児童書の一部と日本文学。
この辺りが私の御用達だった。

校庭で誰かと遊んでいる記憶は薄い。
結局はひとりでいる時間が圧倒的に多くて、いつもこの場所に辿り着く。

子供向けの本に物足りなさを感じれば、PTAの本棚を覗く。
黒地にオレンジで書かれたタイトルの本を眺めては、「この本棚にある本はどうやったら借りられるのだろう」とぐずぐず考えていた。
その本は東野圭吾著・流星の絆で、先生にお願いをして利用方法を教えてもらってからようやく読むことができた。

週末は市の図書館で貸し出し限度の最大まで借りる。
Newtonの類いの科学雑誌は借りられなかったからパラパラと捲るだけ。
時空の伸び縮みを理解するにはさまざまなものが足りなさすぎた。

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中学生になってからも本棚の木立に入り浸る時間は多かった。

人付き合いが下手で、代わりに昼休みや放課後に司書の先生と話をした。

毎日1~3冊ペースで読んでいたがゆえに、既に図書室にある本では飽きたらず、新規で入荷する本のリクエストをしては、届いた本にフィルムを貼る作業を手伝っていた。

図書委員でもないのに黙々と手を動かす私に「友達と遊ばなくて良いの?」と先生は問うたけれど、「話す人はいないし、いいです」と淡々と答えた。

自然と友人ができ、受験勉強で忙しくなる3年生の中盤くらいまでは、よく夕日の差すその部屋に匿ってもらっていた記憶がある。

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高校生にもなれば、最盛期の中学時代ほど読書をすることはなくなった。

親愛なる友人も増え、空想の世界に身を置かなくても、遊び学んで忙しくするうちに心の穴を埋めることができるようになったからだと思う。

それでもやはり、自然と足が向かうことはあった。

図書室で受験勉強の追い込みをする同級生たちを尻目に本棚の陰にこそこそと隠れ、自分の中でふつふつと黒く煮える何かとずっと戦っていた。

手を伸ばせば物語があって、目を通せば違う世界へ飛ぶことができる。
背伸びをすれば、自然の不思議、世界の不思議が詰まった人類の叡知がそこにある。

息をするためにここへ来る。
家よりも、教室よりも、保健室よりも安心できる場所。
言葉通り、本に守ってもらっていた。

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大学4年生の冬はいつにも増して忙しさを極めるだろう。

草木が生い茂り、霞のたなびく山のような場所。
入るものを拒まず、去るものを追わないこの空間に、後期からもまたお世話になろうと思う。

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