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サイダー

親の教育という観点で見れば、どちらかというと厳しく過保護な家庭で育ったと思う。
中学生になるまでは徒歩もしくは自転車でひとりで出かけることは暗黙の了解的に原則禁止にされていたし、高校生になるまで自分で自由に使えるお金は無かった。

だから時たま許しを得て(送迎付きで)友達の家に行ったときだけ飲める、ジュースなどの甘い飲み物は、私にとって特別なものだった。
家には麦茶か牛乳しかなく、自分でも買いに行けないのだからなおさらである。

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かつて私の実家の近くには、松井くんという同級生が住んでいた。
松井くんの家は実家から徒歩数十秒という距離にあって、我が家のルールの範疇で言えば、当時小学1年生だった自分が好きなように遊びに行っていい例外かつ唯一の友達の家だった。

夏もその勢いを増す7月。
学校から帰ってきて、普段通り彼の家を訪ねると、いつもよくしてくれる彼のお母さんが「暑いでしょう」と言いながら、よく冷えた銀色の細長い缶を手渡してくれた。

私はその日、人生で初めてサイダーというシロモノを飲んだ。

氷みたいに冷たいそれをおそるおそる口をつけると、なんだかチクチクして、それまで出してもらっていたオレンジジュースみたいにたくさん飲むことはできなかった。
松井くんは隣でおいしそうに飲みすすめるけれど、私はたったひとくち飲むのに精一杯。
それでも、麦茶や牛乳やオレンジジュースよりもずっとずっとあまったるくておいしかった。

それからは、彼の家に遊びに行く度に必ずサイダーをごちそうになった。
彼のお母さんは、炭酸をうまく飲み込めず、缶も上手に開けられない、けれども嬉しそうにしていた私のために、いつも冷蔵庫に準備してくれていたようだった。

ただ、時間の流れというのはあっという間なもので、初めてサイダーを飲んだ日にチリンチリンと鳴っていた風鈴は、私が難なくその味を楽しめるようになった時にはとうにしまわれており、日を追い涼しくなるごとに、サイダーは温かいお茶に取って代わられてしまった。

そして松井くんの家でそれを飲んだのは、小学1年生のこの夏だけだった。

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簡単に言うと、松井くんは知り合ってたった1年で他県へ引っ越していってしまった。
どこに引っ越したかももういまいち覚えていないし、今はどこでどうしているのかも全く分からない。

しかしお小遣いを好きなように使えるようになった高校生以降、夏のふとしたときにサイダーを買い求めるようになった。
その何となくの習慣は今年もまた例に違わず戻ってきて、暑い日にスーパーに行くと、気づいたときには買い物かごにあの細長いの缶が入っていたりする。

在りし日の夏のこと。ただたださわやかであまい飲み物の記憶だけが、今も私の中に残っている。

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