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今、就活中なんだけどね。。

カンボジアから帰国して1年ちょっと経つ

私にとって帰国後の1年は結構大変だった。

バイトして貯めたお金は全部旅行に使った。
経験にたくさん投資していきたい。

大学の授業をほぼフルで入れ込んで4年生楽できるようにと頑張った。

っていう普段がんばらないのに無理強いをしたからか、夏くらいまでは何故か月に1回ペースくらいで熱を出し続けた。

親には学業に専念するためバイトはしなくていいなどと言われながらも仕送り分だけでは”東京生活における”豊かな暮らしは実現できないなとも思いつつ、周りのことはフル無視で図書館によく通うようにした。(無料だし、本を読む気になる)

”東京生活における”豊かな暮らしムズイ

お金があることで充実した文化的な生活を送ることができる。
東京の人はおしゃれで美味しいご飯を誰かと食べてる。この”おしゃれ”で”美味しいご飯”を”誰かと食べる”を維持するって結構難しい。

よく言われることだと思うけど、美容院に月一回はマストでマツエク・まつぱ・ネイル・ジムに通うこともそうだし、流行に乗るために服を新調する。さらに友人などと夕飯を食べるとなると3000円ずつ飛ぶ。

「身の丈にあった」という言葉かなり大切にしようって思ったんだけど、バイトガツガツして必死こいて身を削ってまで追いつこうとは思わないのでパスして。あるもの(手の内にあるもの)で工夫して自分らしくというカンボジア精神を理由に東京を生き延びることにしている。

東京とは言え、大学の友人は一人暮らしよりも実家勢が多い。ここに金銭感覚含めさまざまなギャップ(想像とちょっと違っていた)があることにやっと気づく。そして、サークルやバイトに励むのはいいことだけれどお金を稼いで遊ぶだけのループであんまり個人の能力向上に時間を使っている気がしなくて違和感を覚えたりもした。

今までは人間関係は広くできるだけいろんな人と繋がって吸収したいって思っていたし、裏切りとか冷たい態度は悲しいから期待しないようにしようと人間関係が希薄になり、自分から遠ざけたりしていた。
のだけれど、伝わらない人にはどう頑張っても伝わらないということがわかり、私は悪くないし〜と思うようになってから結構楽になった。

そんなこんなで

熱を出しながらも耐えた2023年前半戦のご褒美である台湾旅行で人生の目標は「晴耕雨読」にしようと決めた。

2023年も挑戦は色々した

やったことは

・島に行った
・熊本に行った

・保育園の撮影アルバイト
・ヤマトの短期バイト
・バーのバイト(始めたが部活みたいで嫌になってやめた)
・インターン始めた
・取材と記事書きでお金をもらえた

・大学のキャンパスコンテスト(ミスコンみたいなやつ)の撮影した
・友達から写真頼まれるようになってきた

・外国人の友達を作った
・友人と旅行に行った

・写真を本で読むようになった
・サークルに新しく入った
・ソフトボールの試合に出た

そんな感じかな

始まる就活

私は休学したので同級生が先に就活を終えていくわけだけど聞いたところによると人材・コンサル・ITの3択が多い印象
細かく言えば色々あるわけだけれどいまいちピンとこない。
それもそのはず、本人たちもピンときていない。

日本の就活について調べてみたのだけれど(自分の就活進めろ)
日本は、入社してから人材教育に力を入れているので入社して仕舞えば育ててもらえる。それがいわゆる会社に入って3年は、、、のお決まりフレーズ

近年の傾向は、転職を前提にした就活であるから自分がどんなスキルを身につけたいのかという視点で就職先を選ぶ子も多い。

島に行ったりカンボジアにいってから第一次産業に目が向くようになった。経済の発展に従って第三次産業の従事者が増えるわけだけど、歯車な感じがしてサービスの上に成り立って金を巻き上げるイメージがどうしても違和感に思ってしまって魅力的に思えなくなっている。

もう本当に晴耕雨読生活始めようかなって思ってきてる。

カンボジアに戻ってみた

春休みに帰省や祖父母の家に訪れるなどしつつ、
1週間前くらいに勢いで買ったカンボジア行きの航空券

人生で貯金というものができたことがない。
今回もお小遣いをもらって余裕ができたなあ、と思っていたけどこれで航空券を変えてしまうことがわかって決断した。

もう数回海外に行ったことがあると、不安はありつつもなんとかなるって感じで決断の速度も早くなっていくみたい。

久しぶりだったけどやっぱりどこへ行っても就活の話
もちろん私も将来を決めるきっかけになりそうだとカンボジアに行ったのだけれど、会話を通して少しだけ解像度が上がった。

やっぱり自分のやりたいことをやりたい

自分のやりたいことというのは、自分の作った商品・サービスで人に喜んでもらうことだと思う。それこそ第一次産業的であるものは特に根源だしシンプルなものだからバイアスがかかりにくい。とか
言い出したらキリがない、反論の余地はいくらでもあるけどシンプルに思ったことはそんな感じ。

とにかくいろんなインターンやバイトを経験してみて自分の意思を押し殺して社会のために会社のために働くという構図がどうも嫌で。
不特定多数の誰かのためにっていうよりも顔の見える・手の届く範囲の人に楽しんでもらえるようなことができたらいいなって感じ。万人受けは苦手だし、万人受けしたい意味もわからないというか、こっちの価値に気づけ?くらいの気持ちでいたい。

社会人として社会に貢献したい。っていうのはなんかちょっと違っていて
一緒に楽しく乗り切って、こんな変な社会を生き延びようぜみたいな感じ。

周りにいる人は素敵な人ばっかりなのに社会っていう括りになるとなんでこんなに嫌なイメージが残るんだろうね。就活の不安もあるんだろうし、色んな権力関係の圧みたいなものも見たからかわかんないけど、自分は自分でやりたいことやって悠々自適な生活を送っていきたいと思った。

それは多分、葛藤や色んな困難がありつつも立ち向かって自分の生活を手に入れたカンボジアで暮らしている人たちにあったから思えたことなんだと思う。そばで見ることができて、話ができて、アドバイスをくれたからだと思う。

今日はここまで

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