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薬が効かない慢性痛――闘病者の覚え書き

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#痛み

3/9  意味づけされた痛み

3/9 意味づけされた痛み

前回は意味づけされない痛みについて書いたので、今回はそうでない痛みについて書こうと思います。

まず痛みプラスの面から。

よく言われることですが、一度ひどい病気や痛みを経験した人は、他の人を気遣うことができるようになることが挙げられると思います。
あくまで基準は自分の場合になりますが、痛みや苦しみにとらわれている人が何を言われたら嫌で、何をされたら負担が減るかを少なくとも気にかけることができる。

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3/8  意味づけしていない痛み

3/8 意味づけしていない痛み

今回は痛みについて私が考えていることを書きたいと思います。
それは以前の記事で書いたように、痛みはまず痛みとしてとらえるべきだということです。

「痛いけど」ではなく。
「痛いから」でもなく。
痛みに何の意味を持たせることなく、ただ痛みそのものとしてとらえる。
理由をつけたり、役に立てたりするのはその後でいい。そう思います。

痛みはさまざまに解釈できます。
例えば
・今の痛みは将来役に立つ
・痛

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3/3  「この」痛みと目の前にある「痛み」

3/3 「この」痛みと目の前にある「痛み」

痛みには個人として味わっている「この」痛みと、一般的な意味での「痛み」があり、このニつを混同されると会話などが噛み合わなくなる。
そんな記事を前回書きました。

今回はその続きです。

これは私の持論なのですが、痛みと本当に真面目に向き合っている人は、他人との痛み比べをしません。
比べられるわけがない、比べられて嬉しいわけがないと考えているからです。また比べる余裕がこちらにありません。

以前人に

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3/2  「この」痛みと「痛み」

3/2 「この」痛みと「痛み」

痛みを患っていていつも思うのは、「伝わらない」と言うことです。
伝わらないことこそ痛みだと言いたくなるくらいです。
思うに痛みにはとらえ方がニつあって、それが「この」痛みと「痛み」の分類です。

前者は個別の痛み、自分の痛み、「これ」としか言いようがない痛みです。
後者は人間としての痛み、定義通りの痛み、分析できる痛み、診察される痛みです。
個別と一般、あるいは普遍と言ってもいいかもしれません。

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2/28  「中二病」という言葉の危うさ

2/28 「中二病」という言葉の危うさ

「レッテルを貼る」という言い回しがあります。
ある性格とかキャラクターとか呼ばれるものを貼り付けられると、周りが期待するであろう行動以外は取りにくくなる。
逆に型通りの行動をとると笑われてしまいそうな状況もある。
「中二病」という呼び名には後者の嘲りが含まれているように感じられます。

個人的にも型通りの中二病を患っていましたが、それは私なりに必要だったからです。
溜まった鬱憤を晴らす手段を知らな

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2/27  「ずっと真夜中でいいのに」の歌詞に見る痛み

2/27 「ずっと真夜中でいいのに」の歌詞に見る痛み

今日は音楽について書こうと思います。当然のように痛みに関することではあります。
「金槌を手にした人にはすべてが釘に見える」のような言葉があったように思えます。慢性痛に悩まされている私にも当てはまる部分は大きいです。

「ずっと真夜中でいいのに」のACAねさんの曲をよく聴きます。
あまり歌に詳しくはありませんが、多くの歌い手は恋愛をテーマにするようです。
恋愛であれ失恋であれ、今の私には眩しすぎて聴

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