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2/27 「ずっと真夜中でいいのに」の歌詞に見る痛み

今日は音楽について書こうと思います。当然のように痛みに関することではあります。
「金槌を手にした人にはすべてが釘に見える」のような言葉があったように思えます。慢性痛に悩まされている私にも当てはまる部分は大きいです。


「ずっと真夜中でいいのに」のACAねさんの曲をよく聴きます。
あまり歌に詳しくはありませんが、多くの歌い手は恋愛をテーマにするようです。
恋愛であれ失恋であれ、今の私には眩しすぎて聴けません。
良し悪しの問題ではなくて、単にこちらの受け取る準備ができていない、という話です。

ACAねさんの歌を聴いていると、「この人は何がこんなに痛いんだろう」と頻繁に思います。
よほど痛みと真剣に向き合わないと、その表現にはならないだろうと思うからです。
「胸の煙」の歌詞にもちょうどそんな部分があるかと思います。


中でも「ハゼ馳せる果てるまで」の歌詞。
「必要」と「傷」、この二語を並べるのは本当にすごいと思いますし、納得できます。
余分な解釈はしませんが、多角的に痛みをとらえないと並べる気にならないと思います。


正直な話、すべての曲を聴いたわけでもなく、すべての歌詞に目を通したわけでもありません。
聞き取れていない部分も多数あります。もちろん発音のせいではなく、あまりにも予想外な単語が来るからです。
聞き取れても意味がわからない箇所が多々ある。
でもそれはそれでいいと思っています。何もわからないといけないわけでもなし、わかる時にわかればそれでいい、と。


ただ憶測として、信じられないくらいに売り出し方も上手いのではないかと思っています。
歌詞の意味がわからない部分とわかる部分の配分の見事さはもちろんですが、映像をつけることで「わからない」部分の抵抗を緩和しているように思えます。
美麗な歌声は言うまでもなく、写真やプロフィールを明かさないのも話題性という意味で効果的だと思います。
すべてがご自分の歌詞と歌を最も多くの、あるいは必要な人に届けるための手段ではないか。
単なる憶測ですが、少なくともあの「難しい」と言われてしまいそうな歌詞を世に届けるために、かなりの工夫をされているのではないかと感じます。


話が逸れましたが、ACAねさんの歌詞には痛みそのものを感じます。
「痛いから」ではない。
「痛いけど」でもない。
ただ痛い。今痛い。

前後や因果関係はありそうです。
しかし扱われているのが恋愛であろうと失恋であろうと、私に最もよく伝わってくるのは生々しい痛みです。本人に終始する痛みです。
(だからこそ「あいつら全員同窓会」は力点の置き方が「あいつら」寄りに思え、違和感を覚えます。ただ「おめー何言ってんだ」に引っ張られている感があるので、表面だけを受け取っているのかもしれません)


本日は以上です。
上に挙げた痛みと接続詞の話にはまた触れることもあるかと思います。

読んでくださる方がいらっしゃいましたら、ありがとうございました🙇‍♂️

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