3/9 意味づけされた痛み
前回は意味づけされない痛みについて書いたので、今回はそうでない痛みについて書こうと思います。
まず痛みプラスの面から。
よく言われることですが、一度ひどい病気や痛みを経験した人は、他の人を気遣うことができるようになることが挙げられると思います。
あくまで基準は自分の場合になりますが、痛みや苦しみにとらわれている人が何を言われたら嫌で、何をされたら負担が減るかを少なくとも気にかけることができる。
他人の痛みに関心を持つようになるのは、痛みを経験して得られることの一つだと思います。
危険信号としての役割も実感しています。
以前から私は体も心もストレスでボロボロで、あのまま生存していたとしてもどうなっていたかわからない状況でした。
これから回復した後は、以前よりもはるかに多くのことに気づけるし、行動できると思います。
さらに、問題に直面した時、真剣に立ち向かうことを覚えました。
これまでなんとなく生きていた感があり、病気にかかってからも真面目に向き合ってはいませんでした。
今は様々な努力をして痛みに立ち向かえており、今後生きる上での問題解決に間違いなく活かせると思います。
またひたすら耐えるしかない痛みの中で、前向きさを忘れない精神も培われました。
結果的にではありますが、経験としては実に尊いと思います。
次に痛みのマイナス面を挙げます。
一つは、視野が狭くなっていると感じられることです。
以前書きましたが、「金槌を持った人にはすべてが釘に見える」という言葉があったと思います。
私にしても、自分だけでなく身の回りのすべてが痛みを基準にして動いているように思えることがあります。
自分の痛みを避けること、あるいは他人の痛みを気遣うこと。
どちらも大事なことだとは思いますが、それがすべてでないのは明らかです。
それでも考え方の軸にしてしまうのは、痛みの弊害だと思います。
もちろん金銭的な問題も多々発生します。
治療費や移動費など、病気にかかってから払った金額は数え上げたくないくらいです。
あとはもちろん過剰なストレスに常にさらされることが問題です。
慢性痛を患っていると、ちょっとした外出にも大変な労力を要します。
現状では外出自体が難しいにしても、やはり不自由さは感じます。
他にもできることの幅が極めて狭くなり、いっそう視野も狭くなる。
またしたいことができないなど、あらゆる面で行動が制限されます。
(だからこそ今やりたいことがたくさんあるとは言えます)
このような長所と短所を挙げてみても、それは私一人が感じているものの一部です。
痛みを糧にしてやりたいことを成し遂げた方や、痛みをきっかけにして生き方を良い方向に転じた方もいらっしゃると思います。
そのようなすべての意味づけをいったん脇に置き、ただ今の痛みがあると認めること。
私としてはその上で治療を進めていき、治った暁には「痛みのおかげで」と言えるような未来に辿り着ければと願っています。
本日は以上です。
読んでくださる方がいらっしゃいましたら、ありがとうございました🙇
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?