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向かい合う

ピラティスを始めたのは一昨年の秋のことだ。
ピラティスとは何かもよくわからずに始め、今もそれはおぼろげなままだが、楽しい。
速すぎる時の流れに小さな楔を打ち込むように、毎週決まった時刻に通い続けている。
昨春のお休みは長く感じたし、先生や、人生の先輩ばかりのお仲間のことが気がかりだった。
夏に再開すると少々のメンバーの移り変わりはあったものの、先輩方は凛々しいまま。
変わっていたのは私の暮らしの方で、慌ただしさが増し、この頃はいつもクラス開始ぎりぎりに駆け込む。


街を見渡せば、もう躑躅が植え込みを彩り、藤の花房もふっくらと垂れ下がる。ことしは何もかも早い。このまますべてがひと月早送りで進み、夏もその次の季節も急ぎ足でやってくるのだろうか。
自分はといえば、逆にひと月の遅れをとって進んでいるようだ。2月にやろうと思っていたことを3月にようよう済ませ、3月にやっておくべきだったことを今あたふたと追いかけている。


ピラティスはエクササイズのために行うものではなく、身体のために行うもの。先生のためでも誰か他の人のためでもなく、自分のために。
マットの上では、ただ自分の骨や筋肉と向かい合う。1時間弱のレッスンの間は休みなく身体を動かし、時間はあっという間に過ぎる。それでも充足している。ああ時はさらさら流れていくけれど、でも、こうやって過ごせば大丈夫なんじゃないか。休まずに、シンプルに何かとだけ向かい合えば、焦りや虚しさはやってこない。おそらく。


ミーにそっくりな、頭の高いところにシニヨンを載せた先生は、関西のイントネーションで私たちを導く。
容赦なく時は進み、藤は重力に従う。それらに逆らうのかともに歩むのか、一つしかない身体で、今日も。



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