袂を持つ
書くことはある。
かつて文楽太夫の豊竹嶋大夫さんが語られた、修行時代のこと。
当時は、弟子は師匠の家に住み込むのが普通だった。師とともに寝起きし、師匠が早朝に目覚め顔を洗う時には後ろからついてゆく。師が顔を洗っている間、後ろに立ってその浴衣の袂を持つ。
「私の修行というのはそういうものでした」
この挿話が、このところ事あるごとに胸に浮かぶ。
この話をよく思い出すのには理由がある。
いま、私の日々は父の介助とともにある。いや、こう書いては叱られるかも知れない。日中は母に任せきりなのだ。私が担うのは夜と、朝だけ。昼間、ともに外出した時だけ。それでも常に父の動向が意識の中にある。すぐ近いところにある重さで存在する。
父は浴衣は着ないが、後ろに立って袂を持つような日々が続く。椅子から椅子へと移る数歩の歩みも、近くに立って見守らなくてはならない。師匠と弟子ではないから、時にぞんざいな言葉で応じる私に、もっとやさしく言ってくれ、と父は言う。感情の表明は清々しいほどに正直で、年を重ねるごとに心は稚きに戻るのか、などと思う。
今朝も父は随分大声を出していた。なだめる私に、「もうちょっと居てくれ」と言った。たぶん母も同じ気持ちだったろう。私は背を向けて出かける。いつもの電車まであと7分しかない。駅まで走る。すれ違う黒いワンピースも自転車もアマゾンの配達車も介護事業の送迎車もみんな振り切って走る。父母の家は遠ざかる。
広島忌を過ぎると夏も翳りを帯びてくる。じりじりと暑さは暑いのだが、7月のような鮮度はない。暦は立秋を知らせ心は遠く次の季節を求めさすらう。
この頃は毎晩、星を眺める。
就寝前、坪庭の上の小さな窓を見上げると必ず一つ光っている星がある。手を振ると、星は瞬く。あの星とはもう仲良しだ。
父も母も登場しない夢を見て、眠る。
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