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エッセイ | 行きたいくない

私は「行きたくないけれど行きたい」ということがよくある。「行きたいけれど行きたくない」とは少しだけ違う。最近もこの衝動に悩まされたのだ。


コロナの影響で2020年頃からライブはどんどん減っていったが、最近はその時期を取り戻すような勢いでライブが開催されている。うれしい限りだ。

私はあまりライブに行かないのだが、行きたくないわけではないのだ。行ける日程に好きなアーティストのライブが開催されないだけなのだ。

ライブが開催される会場と日時、そして私の都合といった全条件が合致しないとチケットを購入できない。その上、人気のアーティストになればさらに条件は厳しくなる。

その条件をクリアしたライブが最近開催された。私にとっては4年ぶりに行くライブとなる。


そのライブが開催される当日のことだが、私はどうも「行きたい」という気持ちが弱くなっていた。

「起きたばかりだから気分が落ち込んでいるだけかな。夕方になれば行きたくて仕方ないはず……」と考えて、その時はなんとか自分をだましていた。

さて、夕方になった私がどうなったかというと、乗る予定だった電車の時間に間に合わない状況に陥っていた。

どうしよう、どうしようと考えているうちに時間が過ぎていく。「どうしよう」とは「どうにかして間に合わせなければ」というわけではなく、「行くか行かないかどうしよう?」ということである。この期に及んで私はまだ悩んでいたのだ。


私の名誉のために言い訳をしておくと、全てのことにおいてこういった現象が起きるわけではない。友だちと予定している食事や旅行は楽しみで仕方ない。仕事は「行きたくない」と思ってしまうが、これはまた別の話だ。

ライブや映画のように、既に自分でお金を払っており、同行者がいないイベントについては「行きたいけれど行きたくない」が発動するのだ。私がライブや映画館へ1人で行っている件について今は関係ないことなので触れないでおこう。

「チケット代は払っているから、行かなくてもいいでしょ」と言ってしまえばなんとかなりそうだが、ドリンク代やコインロッカー使用料を回収できないライブハウス側としては不満があるのかもしれない。


「行けば楽しいことは分かっている。だから行こう」そう自分に言い聞かせて出かける準備をする。開場時間は過ぎてしまうが、開演時間には十分間に合うだろう。

「1時間近くライブ会場で時間をつぶさずに済んだから結果オーライ」と無理に納得してみるが、きっといい位置は取れないだろうな。

1番いいのはこの衝動が出ないことなのだが難しいだろう。どうにかこいつを飼い慣らしていくしかないのだろうか。



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