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「死」がテーマの人生

ずっと死ななきゃいけないって考えていた時期は、常にお腹の前に包丁が見えた。学校に行っても、電車に乗っていても、気づけば包丁がお腹に突きつけられていた。その包丁を持っている手は、自分の手だった。

小学生か中学生(詳しくは覚えていない)の時、よく教室の窓から飛び降りる妄想をしていた。そんな妄想が止まらなかった。
授業を受けている最中、いきなり立ち上がって窓に向かって走り出す。勢いよく飛び降りる。妄想だからその飛び降りた自分を、俺は席に座りながらみている。俺は何回も席から立ち上がり、飛び降りていた。
その時は死にたいという願望はなかった。だから、その妄想を見てた俺は「なぜ俺は何回も飛び降りているのだろう?」と思っていた。



そんな希死念慮がテーマの人生を送っている俺だが、今日、ベッドに仰向けで寝ていたら、お腹に突きつけられた包丁が見えた。




久しぶりだ。死ななければならないと考えていた時からもう2年は経っている。





思えば最近、自堕落な生活を送っている自分に酷く怒り、また、絶望している。しかしそんな事が自殺願望にまで繋がることか?


以前包丁が見えた時は自分に絶望していた。辛い出来事があったから死にたくなったのではなく、自分は無能だから、誰も守れないし迷惑はかけるし、この先もっと酷い扱いを受けながら生きていくしかないんだとも思った。

だからこれ以上酷くならない内に、早く死ななければならないと思った。





今も自分に絶望しているが、あの時ほどではない。それに普段の生活も充実している。悪い環境から身を引き、友達も増え、趣味もある。


なぜ2年振りに包丁が見えたのだろうか。



あの時感じていたのは、悲惨な未来だ。無能な自分が社会に出た姿を想像して絶望した。

ならば今も同じかもしれない。

やらなければならないこともやらず、自堕落な生活を送っている自分に絶望している。結局無能は無能のままだ。大学に入って勉強しようと思ったが、結局しない。ゴミだ。そんな自分と未来に絶望して、包丁が見えたのかもしれない。

どこまでもクソだ。

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