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本を書いています。

Vol.17 ロールモデルなるものについて。

先日、サッカー日本代表に選出された長友佑都選手が、今回一緒に代表に選ばれた久保建英選手と、6年前に一緒に撮った写真が話題になっていました。当時、久保選手はまだ小学生。約束どおり一緒に代表になった久保選手も、変わらず代表であり続けている長友選手も、どちらもすごいなぁと誰もが思ったのではないでしょうか。

スポーツでも仕事でも、人生において明確な目標を持つことは大事です。殊に、特定の人物がその分野における「ロールモデル」として存在していると、よりリアルに目標をイメージすることができるはずです。

ところが昨今、このロールモデルというモデル自体が、様々な分野で崩れてきているのではないかと感じています。

その理由は言うまでもなく、世の中の変化が激しくなっているためです。

広告業界を例に取るならば、かつては世の中の誰もが知っているような大きな広告キャンペーンをたくさん手がけ、名だたる賞を獲得し、業界内で知らない人はいないくらい有名なスターになることが、1つのステータスでした。今でもその傾向は大きくは変わりませんし、それができるなら十分素晴らしいことだと思います。

ただ自分の経験で言うならば、約20年近く前、当時学生だった自分がロールモデルに憧れていた時代と、現在の業界の構図とでは、あまりにも状況が異なっているわけです。しかも、当時自分が憧れてロールモデルとしていたスターは、さらに上の方に変わらず元気に君臨していたりして、行けども行けども追いつけないという状況もあったりします。

正直、それは高齢化の影響でもあるのですが、高齢化というと失礼なので、みんな若くなっていて困るという意味で「若返り化」ということにしておきたいと思います。

そんなこんなで、今の若い人にとっては特に、誰をロールモデルとするべきかということが明確に定めづらいのではないかと、勝手に思ったりするわけです。ただの老婆心なのですが。

要するに、この変化の激しい時代において「自分のありたき姿」という意味では、特定の人物をイメージしたロールモデルなんていうものは、同じ時代にはまだ存在していないのかもしれないのです。

じゃあどうすればいいのかと言うと、

「ロールモデルは自分で作るしかない」

ということなのではないかと思ったりするわけです。

いま本を書いているのは、実はそんな魂胆もあったりします。アートディレクターという職種において、これまで思い描かれていたロールモデルがあるとするならば、できる限りそれを逸脱し、誰もやっていないようなことに挑戦すること。それによって、自分にとっての新しいロールモデルを築き上げることができるのではないか…という幻想を、うっすらですが抱いているのです。ことはそう単純でもないのですが。

そして当然、先ほどのロールモデル不在説が真実だとするならば、ここでの「自分にとってのロールモデル」は、誰の役にも立たないのかもしれません。でも、それでいいんじゃないかとも思うのです。

まずはひとつの目標であった「本を出す」ということ、それを達成することによって何が起こるのか、はたまた何も起こらないのか、とりあえずはその先をもうすぐ見ることができるという事実に、ワクワクしている今日この頃であります。

↑ついに書影が反映されました!👍🍊


Photo by IJ Portwine on Unsplash

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