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人はなぜ写真を撮るのかという話。

前回、このnoteでSIGMA fpへの愛を語り尽くした所、なんとSIGMAの山木社長がリツイートして下さり、ビックリしたと同時にますますSIGMAが好きになってしまった次第。山木社長、本当にありがとうございました。

その後も順調にfpにハマり続け、写真も動画も日夜練習を続けている。写真はまだしも、動画の撮影に関してはほぼ素人なので、このfpとの出会いを機に、もっと修行して上達していきたいと考えている。

ところで、今これを読んでいるあなたは、どれくらいカメラを愛用しているだろうか。おそらく、カメラ好きの方が多く読んでくれていると思うし、私自身もなんだかんだカメラとの付き合いは長いので感覚が麻痺しているのだが、世に照らせば、カメラの市場はあまり良い状況とは言えない。

この記事からも分かる通り、言わずもがなその大きな原因はスマホだろう。多くの人にとって、写真は「それなりのものがいい感じに撮れればよい」というぐらいの感覚なのだと思う。

それもよく分かる。実際、最近のスマホはよく撮れるし、モノによってはちょっとしたコンデジよりも機能が上だったりする。カメラの台数は減っても写真の数は激増しているというのが、今の世界だ。

では、今なおカメラを持ち続けるということは、どういうことなのか。ここでスマホとの比較論をするつもりは毛頭ないし、そもそもそこに大した理由など必要ない。ただただ「いい写真を撮りたい」「カメラというものが好き」、それだけでもいいのではないかと思う。

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ところが、いいカメラを手にしてしまうと、困ることがある。それは、その辺のものを適当に撮っても、何でもいい感じになってしまうということだ。

これは嬉しい悩みなのだが、いくらデジカメだからといって、無限に撮れるわけではない。最近のデジカメの写真は解像度が格段に上がった分、当然1枚1枚の容量も増えたことで、データ管理をしっかりしないと大変なことになってしまう。

そういう意味では、解像度が低い写真を無限に撮るようなことが減って、1枚1枚の写真を大事に撮るようになったのだとすれば、いい進化なのかもしれない。

そんなこともあって、私の場合は写真を撮るとき、次の3つを考えるようにしている。

①何を撮るのか ②どう撮るのか ③なぜ撮るのか

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①の「何を撮るのか」については、誰もが悩む所だろう。それこそ、街をプラプラしながらスナップでも撮ろうとすると、道端に落ちてる石だろうがゴミだろうが、何でもよさげなものに見えてきてしまうことがある。そんな気持ちをグッと抑えつつ、ちょっとだけ慎重に吟味する必要がある。

②の「どう撮るのか」については技術的な話が中心になるのだが、①で撮ろうと思った被写体に対して、それを最もよく見せるためにはどういう光で、どういうアングルで、どのくらいの露出で撮るのかということを瞬時に考える必要があるということだ。決して被写体は待ってくれない。

まぁ①と②までは、必然的に考えるべきことだ。それが決まらなければ、写真など撮れるはずもない。ただ、目の前にある被写体を撮るべきか撮らざるべきかを考えるとき、それを決定づけるのに必要になってくるのは、③の「なぜ撮るのか」ということだ。

例えば、私が普段仕事で扱う広告写真などは、明らかに目的がハッキリしている。いや、そこまで極端な例でなくても、例えば子どもの運動会の写真や記念写真など、特定の目的があるような写真も多いだろう。

ところが、その辺を歩いて気ままに撮るようなスナップ写真には、本来目的などないはずだ。SNSでシェアするためなどといったことはあるかもしれないが、ザックリ噛み砕いてしまえば「自己満足」のためだ。

思うに写真というのは、大きく分けて2種類あるのだと思う。「目的が明確な写真」「特に目的がない写真」だ。

では、スナップ写真というものを、人はなぜ撮るのだろうか。身も蓋もないようなことを言ってしまうと、それはおそらく「撮りたいから撮る」ということに尽きるのだと思う。

街をプラプラと逍遥(荒木さん風に言うなら坪内逍遥)しながら、何となく周りをよそ見する。ふと、気になるものが目に入る。「撮ろうかな、どうしようかな」と考えるまでもなく「撮りたいな」と思うもの、何だかわからないけど自分にとってグッと来たもの、心を動かされたものを撮ればいいのだ。

逆に考えれば、ちょっと良さげに見えても心を動かされないものに関しては、撮る必要がないということになる。至極単純な話だ。

あとは自分の中でいくつか「ルール」を決めておけばいい。例えば私の場合は、「みんなが撮るようなものは撮らない」というつもりでやっている。ただ偏屈なだけなのかもしれないけれど…。

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最初の話に戻して、このスマホ全盛の時代になぜわざわざ重いカメラを持ち歩くのか、ということと合わせて考えれば、

自分が本当に撮りたいと思うものに出会ったときに、最良のイメージを写真に収めたいから

ということになるであろう。これも当然といえば当然なのだが。

そういう意味でも、このSIGMA fpと「45mm f2.8 DG DN」の組み合わせは、最高のスナップの友だ。

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カメラを持ち歩くということは、そもそも隙あらば良い写真を撮ろうとしているわけで、たまたま持っているスマホでサッと撮るのとはワケが違う。撮ったあとの写真をどれだけ大事に扱うか、という点に置いても、そもそも写真に対しての思い入れが違うため、愛着心が全く異なるのだ。

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多少の足かせになったとしても、常に持ち歩きたいカメラ。そのカメラ本体の魅力も含めて考えればやはり、

いつも首から下げて歩きたくなるカメラ

というのは、ある意味理想形に近いのではないだろうか。私にとってのfpは、すでにそんな存在になってしまっている。

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fpはファインダーがないからこそ、自然と目高よりもややローアングルになることが多い。それもまた良い。その四角い筐体とも相まって、感覚としてはハッセルやローライを首から下げてスナップを撮る感覚に似ているような気がする。いや、ハッセルもローライも持っていないのだけど。

もはやこうなってくると、どこかに行くついでにfpで写真を撮ってまわりたいとか、さらにはfpで写真を撮るためにどこに行くか決める、という事態にまでなりかねない。というかもうなっている。

撮るぞ。


(↓拙著の方も、まだまだよろしくお願いします)



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