ISHIYA私観「平成ハードコア史」〜 #4 ツアー
2019年の今年、平成という時代に終止符が打たれる。
1989年から始まった平成だが、昭和からパンクシーンにどっぷりと浸かった俺は、昭和も終わりを迎える頃にDEATH SIDEというバンドでライブ活動やレコード発売が活発になって行った。
自身の活動を踏まえた上で考えてみると、平成という時代が人生のメインとなる活動時期だったと感じ、私観ではあるがその歴史を書き留めておこうと思い筆を取った。
これから連載をしていこうと思っているこのコラムでは、全くと言っていい「極私観」に基づくものであり、俯瞰の要素からはかけ離れているだろう。
しかし、平成のアンダーグラウンド・ハードコア・パンクシーンを体験し続けてきた俺の記憶に興味のある方であれば、興味深い話があるはずだ。
今まで世に出ていないこともたくさん出てくるはずだと思うし、こんな世界が世の中にはあるんだと、少しでも興味を持ってもらえれば、俺が人生を賭けてやってきたことも報われる。
売文を生業としているのでこのコラムに関しては有料とさせてもらうが、興味がある人は是非このコラムを購読してほしい。
今後このコラムを読んで、様々なバンドに親しみが湧く人間もいるだろう。しかし、自分が体験したことでもないことで、馴れ馴れしくバンドに知ったかぶりをして話しかけても自己責任なので気をつけることを忠告しておく。
昭和のハードコア・パンクの先輩たちがそうであったように、一旦中に入れば信じられないほどの優しさを見せてくれる日本のハードコア・パンクの人間たちだが、その壁は厚く高い場合があることを認識してほしい。
そうでなくては、このコラムを続けることができなくなるかもしれない。
「#4 ツアー」
鉄アレイ、BASTARD、DEATH SIDEは昭和の終わりから平成の始まる頃に活動を共にし始めた。ライブもかなり一緒にやったが、ツアーを一緒に周ることも多かった。
日本のハードコア・パンクバンドがツアーを行うようになったのは、LIP CREAMの功績によるものであると思う。
一番初めに日本全国ツアーを行ったのは、1985年のGHOULとMOBSによる「極悪TOUR」だと思うが、北海道まで含めたより広い地域の全国を周った1985年と1986年のLIP CREAMとCITY INDIANによる「DYNAMITE TOUR」が、ハードコア・パンクバンドがツアーというものをやることの礎だったのではないだろうか。
30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!