ISHIYA私観「平成ハードコア史」第2章〜#5 LIP CREAM、OUTO、 DEATH SIDE「BLOODY SUMMER TOUR」

 第1章で出てこなかったバンドや出来事がまだまだたくさんあるのだが、俺が書いているコラムであるのに登場していないバンドがある。そう、DEATH SIDEだ。
 この第2章では、DEATH SIDEの話を中心に、様々な話を交えながらDEATH SIDEの歴史についても書いていきたいと思う。
 2019年の現時点でも活動しているDEATH SIDEだが、今のDEATH SIDEの話はまだ先になってしまうだろう。この章では第1期と言えるDEATH SIDEについて触れていきたい。そのため昭和の話もふんだんに出てくるはずだ。平成史と謳っているが、DEATH SIDEは昭和から活動を始めたので、そのあたりはご容赦いただきたい。
 様々なバンドとの関わりなどかなり数多くの話もあり、今まで世に出ていない話もたくさんあると思う。
 もし興味があるならば、連載する上での励みにもなるので、第2章も購入していただけると幸いである。

 第1章と同様、自分が体験したことでもないことで、馴れ馴れしくバンドに知ったかぶりをして話しかけても自己責任なので気をつけることを忠告しておく。
 昭和のハードコア・パンクの先輩たちがそうであったように、一旦中に入れば信じられないほどの優しさを見せてくれる日本のハードコア・パンクの人間たちだが、その壁は厚く高い場合があることを認識してほしい。そうでなくては、このコラムを続けることができなくなるかもしれない。

「#5 LIP CREAM、OUTO、 DEATH SIDE〜BLOODY SUMMER TOUR」

 LIP CREAMとOUTOが夏の全国ツアーをまわることを知り、CHELSEAと俺で「ツアーに連れて行ってくれ」と頼み込み、DEATH SIDE初の日本全国ツアーが決まった。そしていよいよツアーを迎えるのだが、OUTOのギターをやっていたカツミが、手を怪我してしまいギターを弾くことができず、ツアーに参加できないという。そこで急遽CHELSEAがギターを弾くこととなり、どうにか全国ツアーがスタートするかと思われた矢先、翌日にツアー初日の盛岡があるにも関わらず、DEATH SIDEのドラムであるイノ君(表記はRAN-LIN)と全く連絡がとれない。このままでは間に合わないので、CHELSEAだけはOUTOの車に乗って先に盛岡へ向かい、残された俺がイノ君を探すことになってしまった。

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30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!