ISHIYA私観「平成ハードコア史」第4章〜#20 平成ハードコア史最終回に寄せて

 第1章から第3章まで、昭和や平成に起きたことなどついて触れて来たが、平成という時代も西暦2000年をまたぐ頃になると、ハードコアの世界でも様々な出来事があった。
 あまりにも多くの出来事があるために、遅々として書き進める時代が進んで行かないのだが、この第4章では新たに世界に飛び出していった日本のハードコアや、多くの経験を積んだハードコアの人間たちが、どのような変化を遂げていったのかということも含め書き進めて行きたいと思っている。
 海外との交流が進むに連れて、来日バンドも多くなり、日本のハードコアシーンが国際色豊かになっていった時期でもある。
 世界の中の日本のハードコアという観点も、この第4章には登場するだろう。
 他にもまだ書けていないことや、思い出す話もあると思うので、今しばらくお付き合いを願いたい。
 売文稼業なので有料とさせていただくが、連載の励みにもなるので興味のある方は、この第4章も購入していただけると幸いだ。

 第1章、2章と同様、自分が体験したことでもないことで、馴れ馴れしくバンドに知ったかぶりをして話しかけても自己責任なので気をつけることを忠告しておく。
 昭和のハードコア・パンクの先輩たちがそうであったように、一旦中に入れば信じられないほどの優しさを見せてくれる日本のハードコア・パンクの人間たちだが、その壁は厚く高い場合があることを認識してほしい。そうでなくては、このコラムを続けることができなくなるかもしれない。

「#20 平成ハードコア史最終回に寄せて」

 全4章80回に渡り連載してきた、ISHIYA私観「平成ハードコア史」であるが、今回をもって最終回とさせていただこうと思う。

 昭和から始まった日本のハードコアパンクシーンだが、平成という時代に入り様々な変化や進化があった。
 日本ハードコア黎明期から現在まで活動を続けているGAUZEやTHE TRASH、原爆オナニーズといったバンドはあるが、黎明期の日本ハードコア第一世代と呼べるバンドに多大なる影響を受け、バンド活動を始めた人間たちが平成になって台頭して来た。
 筆者である俺もそんな人間の一人で、初期ジャパニーズハードコアの影響により、昭和からバンドを始め、平成に入り活発な活動を行ない現在に至っている。

 日本のハードコアの歴史のほとんどを体験して来たが、最も初期である頃のシーンは体験していない。その頃のことなども、今後取材ができれば書いてみたいと思ってはいるが、正直に言うと絶対的に存在を外せないバンドに関しては、おそらく取材も掲載も行うことは不可能であろう。
 他にもステージや作品以外で対外的に露出することを快く思わないバンドもあり、交渉はできても掲載や取材となると非常に難しいのが現実であると思う。
 昔のことでもあるので触れたくない人間も多いだろうし、初期東京ハードコアシーンについて一般の人間たちが知るためには、現在のところ口伝以外に方法はないだろう。

 しかし平成という時代に活躍していたバンドたちは、筆者である俺と活動を共にして来たために、俺に信頼をおいてくれ様々な取材にも答えてくれた。
 今回の連載にあたり、質問に答えてくれた全てのバンドと友人たちに、心からの深い感謝を送りたいと思う。

 本当にありがとう。

 今回で本編は最終回となるが、もし気が向いたり、書き足りなかったもの、どうしても書いておきたいことや話が聞けたなら、平成ハードコア史外伝のような形で配信するようなことはあるかもしれないが、いつになるかはわからない。

 関西のRAPESやDANSE MACABREについての話がなかったのだが、ちょうど現在(2020年5月)発売中である、LOFT BOOKS「関西ハードコア」を俺が取材して本として発売することになっていたので、掲載することはしなかった。
 関西シーンについては「関西ハードコア」を読んでもらえれば、俺がコラムを書くよりも、本人たちの話による当時の状況が克明に綴られているので、是非読んでほしい。発売初日で売り切れ続出という嬉しい悲鳴もあったが、重版も決定し2020年6月には、ページ増で発売されることとなったので、買い逃した方は是非重版を購入することをおすすめする。

 それでは最終回ということで、各章の話などについて、筆者である俺が解説をしていきたいと思う。

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30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!