ISHIYA私観「平成ハードコア史」第4章〜#15 DEATH SIDE復活 PART Ⅱ

 第1章から第3章まで、昭和や平成に起きたことなどついて触れて来たが、平成という時代も西暦2000年をまたぐ頃になると、ハードコアの世界でも様々な出来事があった。
 あまりにも多くの出来事があるために、遅々として書き進める時代が進んで行かないのだが、この第4章では新たに世界に飛び出していった日本のハードコアや、多くの経験を積んだハードコアの人間たちが、どのような変化を遂げていったのかということも含め書き進めて行きたいと思っている。
 海外との交流が進むに連れて、来日バンドも多くなり、日本のハードコアシーンが国際色豊かになっていった時期でもある。
 世界の中の日本のハードコアという観点も、この第4章には登場するだろう。
 他にもまだ書けていないことや、思い出す話もあると思うので、今しばらくお付き合いを願いたい。
 売文稼業なので有料とさせていただくが、連載の励みにもなるので興味のある方は、この第4章も購入していただけると幸いだ。

 第1章、2章と同様、自分が体験したことでもないことで、馴れ馴れしくバンドに知ったかぶりをして話しかけても自己責任なので気をつけることを忠告しておく。
 昭和のハードコア・パンクの先輩たちがそうであったように、一旦中に入れば信じられないほどの優しさを見せてくれる日本のハードコア・パンクの人間たちだが、その壁は厚く高い場合があることを認識してほしい。そうでなくては、このコラムを続けることができなくなるかもしれない。

「#15 DEATH SIDE復活 PART Ⅱ」

 平成22年である2010年のBURNING SPIRITS〜CHELSEAの日に、DEATH SIDEが一夜限りで再結成しシークレットライブを行なったことは、前回第4章#14で書いた。
 その後毎年CHLSEAの命日である8月17日に行われる、BURNING SPIRITS〜CHELSEAの日は年が変わるごとに曜日が変わるため、DEATH SIDEがシークレットライブを行なった平成22年である2010年が火曜日で、平成24年である2012年から週末に行われるスケジュールとなり、平成26年である2014年の日曜日まで3年連続で週末開催だったために、多くの人間がCHELSEAという人物に想いを馳せることができるライブとなった。

 しかし翌年平成27年である2015年には月曜日になってしまい、企画者である俺とMUKAIの中で観客動員の問題を考えなくてはならなくなった。
 一年に一度CHELSEAという人間を想い偲ぶ日であるBURNINGSPIRITS〜CHELSEAの日に、観客動員が少なく多くの人間が集まらないというのは寂しすぎるし、CHELSEAに対する観客達の想いが薄れてしまうのではないかといった危惧もあった。
 そこで俺がMUKAIに「DEATH SIDEをもう一度だけやり、出演を正式に発表してやるのはどうだろう?」という提案を持ちかけた。するとMUKAIもその案に賛成だったためにYOUにも伝え、再びHIROSHIとORIにも声をかけると快く引き受けてくれたため、1日だけではあるが正式にDEATH SIDEが復活することが決まった。

 そしてDEATH SIDEがBURNING SPIRITS〜CHELSEAの日へ出演すると正式発表したところ、嬉しくも悩ましい相談が次々と舞い込んでくるようになってしまったのである。

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30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!