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#55 寝袋が要らないなんて

人物、バンド名等説明
・KAPPUNK
:2015年から始まった、HARD CORE PUNKが多く出演するフェスとしては日本最大規模のPUNKフェス。
・SHORT SHARP SHOCK:1984年に発売されたCHAOS U.K.の2ndアルバム。
・弁慶:函館のCRUDE、MUSTANGのギターでDEATH SIDEのギター。
・MUSTANG:1990年代後半に、函館で結成されたHARD CORE PUNKバンド。
・ダノ:ニューヨークのオーガナイザーで、仲の良い友人でもある。

#55 寝袋が要らないなんて

 FORWARDで韓国ツアーを行なった2015年の夏には、DEATH SIDEが正式に再結成。〝CHELSEAの日″にライブを行なった。
 この復活ライブで、今後もDEATH SIDEとして活動していくことが周知の事実となった。実際、仲の良い友人に「今後もDEATH SIDEをやる」という話はしていた。
 DEATH SIDE再結成の理由も、〝CHELSEAの日″だけであれば納得できるものがある。事実「CHELSEAの日であれば」といった感じで、オリジナルではないメンバーも協力してくれていた感覚は大きい。あくまでも〝CHELSEAの日″だけやるという前提の活動だったために、以前「CHAOS IN TEJAS」からオファーがきたときも断っていた。

 しかしこの年の 12月に、なんと「CHAOS U.K.が再結成して来日するので、DEATH SIDEで出演してくれないか?」とのオファーが来た。それとともに、長年の友人である元鉄アレイのKATSUTAが始めた日本最大級のPUNKフェス、「KAPPUNK」の出演オファーもあった。
 CHAOS U.K.といえば、俺が海外HARD CORE PUNKの中で一番好きなバンドである。さらに、CHAOS U.Kがなかったらこうはなっていない。俺という人間を作り上げた大きな要因となったバンドだ。DEATH SIDEも、CHAOS U.K.がなかったら存在していないと言っても過言ではない。そのCHAOS U.K.が再結成し、名作『SHORT SHARP SHOCK』のボーカルで、初来日のときに俺がかなり影響を受けたMOWERが来るというではないか。
 このオファーは大変魅力的であり、どうしてもやりたい気持ちが抑えられず、メンバーに相談して〝CHELSEAの日″ではないが、ライブをやることに決まった。
 同時期にオファーがあった「KAPPUNK」も、昔からの友人であり親友であるKATSUTAの企画である。様々なフェスを経験してきて、日本でのフェスの必要性や重要性もよく理解していた。〝CHELSEAの日″以外でもライブをやるならば、あちらはやるがこちらはやらないというわけにはいかない。
 オファーを受けるにあたって様々な条件提示があるが、最優先にはならない。いくら素晴らしい条件でも、CHAOS U.K.でなければやろうという気持ちにはならなかったし、親友であるKATSUTAの企画でなければ即座に断っていただろう。この辺りの詳しい話は、自著「ISHIYA私観 ジャパニーズ・ハードコア30年史」(株式会社blueprint)。Note連載「ISHIYA私観 平成ハードコア史」第一章第二章第三章第四章にも書いているので、ご一読していただけるとより詳しくわかる。

 再結成ライブの活動が決まると、堰を切ったようにDEATH SIDEへのオファーが殺到し始める。
 通常、再結成というのはあまり歓迎されるものではないが、、DEATH SIDEというバンドの再始動を認めてくれた人間が多かった証でもあると思う。
〝CHELSEAの日″以外でライブをやるということに、モヤモヤした気持ちがなかったといえば嘘になる。しかし、こうした多くのオファーは素直にうれしく、気持ちが吹っ切れたのも事実である。

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30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!