ISHIYA私観「平成ハードコア史」〜#1 MASAMIさんとLIP CREAM

 2019年の今年、平成という時代に終止符が打たれる。

 1989年から始まった平成だが、昭和からパンクシーンにどっぷりと浸かった俺は、昭和も終わりを迎える頃にDEATH SIDEというバンドでライブ活動やレコード発売が活発になって行った。

 自身の活動を踏まえた上で考えてみると、平成という時代が人生のメインとなる活動時期だったと感じ、私観ではあるがその歴史を書き留めておこうと思い筆を取った。

 これから連載をしていこうと思っているこのコラムでは、全くと言っていい「極私観」に基づくものであり、俯瞰の要素からはかけ離れているだろう。

 しかし、平成のアンダーグラウンド・ハードコア・パンクシーンを体験し続けてきた俺の記憶に興味のある方であれば、興味深い話があるはずだ。

 今まで世に出ていないこともたくさん出てくるはずだと思うし、こんな世界が世の中にはあるんだと、少しでも興味を持ってもらえれば、俺が人生を賭けてやってきたことも報われる。

 売文を生業としているのでこのコラムに関しては有料とさせてもらうが、興味がある人は是非このコラムを購読してほしい。

「#1 MASAMIさんとLIP CREAM」

 1989年平成元年に、MASAMIさん(GHOUL、BAD LOTS etc.)が名古屋ハックフィンでのライブ中、ステージで倒れて意識不明の重体になった。私観「平成ハードコア史」と言うからには、この事件が平成の幕開けになる。平成元年の1989年は、自身のバンドDEATH SIDEの1stアルバム「WASTED DREAM」を発売した年でもあるが、DEATH SIDEの話はいくらでも書けるので後にするとして、そのDEATH SIDEが最も影響を受けたバンド「LIP CREAM」の解散も、平成2年の1990年という平成の始まりだった。

ここから先は

5,054字
この記事のみ ¥ 300

30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!