ISHIYA私観「平成ハードコア史」〜#11 GAUZE

 2019年の今年、平成という時代に終止符が打たれる。

 1989年から始まった平成だが、昭和からパンクシーンにどっぷりと浸かった俺は、昭和も終わりを迎える頃にDEATH SIDEというバンドでライブ活動やレコード発売が活発になって行った。

 自身の活動を踏まえた上で考えてみると、平成という時代が人生のメインとなる活動時期だったと感じ、私観ではあるがその歴史を書き留めておこうと思い筆を取った。

 これから連載をしていこうと思っているこのコラムでは、全くと言っていい「極私観」に基づくものであり、俯瞰の要素からはかけ離れているだろう。

 しかし、平成のアンダーグラウンド・ハードコア・パンクシーンを体験し続けてきた俺の記憶に興味のある方であれば、興味深い話があるはずだ。

 今まで世に出ていないこともたくさん出てくるはずだと思うし、こんな世界が世の中にはあるんだと、少しでも興味を持ってもらえれば、俺が人生を賭けてやってきたことも報われる。

 売文を生業としているのでこのコラムに関しては有料とさせてもらうが、興味がある人は是非このコラムを購読してほしい。

 今後このコラムを読んで、様々なバンドに親しみが湧く人間もいるだろう。しかし、自分が体験したことでもないことで、馴れ馴れしくバンドに知ったかぶりをして話しかけても自己責任なので気をつけることを忠告しておく。

 昭和のハードコア・パンクの先輩たちがそうであったように、一旦中に入れば信じられないほどの優しさを見せてくれる日本のハードコア・パンクの人間たちだが、その壁は厚く高い場合があることを認識してほしい。

 そうでなくては、このコラムを続けることができなくなるかもしれない。

「#11  GAUZE」

 日本のハードコア・パンク創世記から現在まで活動している日本最古のハードコア・パンクバンド。それがGAUZEである。平成史という括りなど通り越して日本音楽史上に名を残すバンドであるし、世界への影響の大きさも計り知れない。

 実際俺もハードコアのライブに通うようになってから消毒GIGにはかなり行ったし、いつもライブに行っていたのでベースのSHINさんが「お前よく来てるからタダで入れてやるよ」と、警備の名目でライブに入れてくれたりしていた。
「お前バンドやってるのか?」と聞かれ、無理やり高校生のメンバーでツインボーカルのDEATH SIDEで、¥500のLOW CHARGE GIGにも出してもらったのも、都内で一番大きな初めてのライブだった。
 1986年のTHRASH TIL DEATH ツアーに同行したときもGAUZEの車に乗って九州まで行き、東京のライブでもよく一緒にやらせてもらっていた。
しかしある日の打ち上げで、SHINさんに言われたことで俺は頑なに心を閉ざし、それ以降GAUZEとの接点がなくなった。

ここから先は

3,428字
この記事のみ ¥ 300

30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!