ISHIYA私観「平成ハードコア史」第4章〜#1 SOUICHIのFORWARDへの復帰

 第1章から第3章まで、昭和や平成に起きたことなどついて触れて来たが、平成という時代も西暦2000年をまたぐ頃になると、ハードコアの世界でも様々な出来事があった。
 あまりにも多くの出来事があるために、遅々として書き進める時代が進んで行かないのだが、この第4章では新たに世界に飛び出していった日本のハードコアや、多くの経験を積んだハードコアの人間たちが、どのような変化を遂げていったのかということも含め書き進めて行きたいと思っている。
 海外との交流が進むに連れて、来日バンドも多くなり、日本のハードコアシーンが国際色豊かになっていった時期でもある。世界の中の日本のハードコアという観点も、この第4章には登場するだろう。
 他にもまだ書けていないことや、思い出す話もあると思うので、今しばらくお付き合いを願いたい。
 売文稼業なので有料とさせていただくが、連載の励みにもなるので興味のある方は、この第4章も購入していただけると幸いだ。

 第1章、2章、3章と同様、自分が体験したことでもないことで、馴れ馴れしくバンドに知ったかぶりをして話しかけても自己責任なので気をつけることを忠告しておく。
 昭和のハードコア・パンクの先輩たちがそうであったように、一旦中に入れば信じられないほどの優しさを見せてくれる日本のハードコア・パンクの人間たちだが、その壁は厚く高い場合があることを認識してほしい。そうでなくては、このコラムを続けることができなくなるかもしれない。


「#1 SOUICHIのFORWARDへの復帰」

 前回の第3章#20では、KATSUTAの鉄アレイからの脱退というショッキングな出来事について触れたが、悪いことばかりが起きていたわけではない。
 平成11年である1999年3月にFORAWRDのオリジナルGr.であるSOUICHIが脱退してしまったことに触れたが、平成16年である2004年を迎えた1月になると、なんとSOUICHIがFORWARDにGr.として復帰してくれるというではないか。それまでSOUICHIは、地元である高知に帰ったあともINSANE YOUTH A.Dというバンドで活動しており、一緒にツアーをやるなど交流も深く、一緒にバンドをやっているときと同様の付き合いをしていた。
 しかしINSANE YOUTH A.Dのメンバーが変わることもあり、なかなか満足いくバンド活動もできなかったときに、メンバーの脱退などもあり高知での活動には思うところがあったのだろう。再び東京に出て来てバンドをやってくれるという話になったのである。

 俺たちとしては大歓迎で、かなり面白いことになると思っていたのだが、そのときFORWARDのGr.であったT.Tには思うところがあったようで、ある日相談のような形で話をしてくれた。それがSOUICHI復帰の決まったときだったので、恐らく平成15年である2003年のことだったと思う。

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30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!